元サッカー日本代表・豊田陽平が語るストライカーの資質 「悪役になることを意識していた」 (2ページ目)
【「優しさが仇になっている」】
「さもないと、厳しいせめぎあいのなかで点数を重ねられないですから。対戦した選手たちの自分の評判は、聞いたらよくないんじゃないですかね。でも、ディフェンスを気にしていられない。一度、削られたあとに『ごめん、ごめん』と謝られて、僕は『いいですよ』と反応したことがあって......不思議と点が取れませんでした。それは日本人的な優しい反応だと思うんですが。そこで戦うスイッチが切れちゃうんですよね」
以来、ピッチに立った時の豊田は容赦なく牙をむいた。試合前は、相手選手とも極力話さない。まさに戦場に挑むような心境だ。
実戦的なストライカーになろうと努めた。たとえばシュート練習は、あくまで試合を想定して打ったという。だから精度は落ちることになり、「シュートがうまくない」と陰口を叩かれることもあった。しかし、シュート練習のシュートがうまいことなど何の価値もない。試合で得点を生み出せるか――。
実際、鳥栖時代の試合は、練習が嘘のように驚くべき決定率を誇っていた。
〈甘えや自己満足や優しさは削ぎ落とす〉
豊田はそれを貫いた。
先日、金沢での練習中だった。ひとりの若いFWがポストに入って、味方にボールを落とした。相手を考えたパスだったのだろうが、そのために強度が足りず、ぼてぼてになって、敵に奪われてしまった。
「優しさが仇になっている。そういうのは必要ない」
豊田は後輩FWを諭したという。ただ、それを頭だけでなく体で理解するには、覚悟が必要になる。なぜなら周りに厳しく接することは、自らへの厳しさに跳ね返ってくるからだ。
何より、全力でストライカーであることを貫いた豊田の精神は、鳥栖という土壌にうまくマッチした。
「鳥栖では犠牲心を求められ、チームのために戦う、というところで。そのためには、どこまでも悪者になれましたよ。むしろ、率先してヒール(笑)。イエローカードをもらうのも、チームのためなら問題ない。ユン(・ジョンファン監督)さんがいた当時は、『味方が削られたら、やり返せ』というチームだったので、自分に合っていました。鳥栖だったからこそ、"サッカー選手・豊田陽平"というブランディングが加速したのだと思います。チームのために戦う、という悪役には、ストレスがなかったですから」
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