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サッカー日本代表が対戦するインドネシアとの因縁 35年前は敵将にピッチを酷評されたことも (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【西が丘で行なわれたW杯予選のインドネシア戦】

 さて、W杯予選でインドネシアと対戦するのは久しぶりだ。

 オールドファンが真っ先に思い出すのは、1989年6月11日のイタリアW杯1次予選での対戦だろう。会場は、東京の西が丘サッカー場だった。

 西が丘(現、味の素フィールド西が丘)と言えば、1972年に完成した東京で初めての本格的な球技専用スタジアムだが、収容力はわずか7000人ほど。数年前までは関東大学サッカーリーグの本拠地だったが、最近はWEリーグの日テレ・東京ヴェルディベレーザのホームスタジアムとして使われている。

 それにしても、W杯予選がいったいなんで収容力の少ない西が丘で行なわれたのか? 当時の代表人気はそんなものだったのだ。Jリーグ開幕のたった4年前だったのだが......。

 1968年のメキシコ五輪で銅メダルを獲得した日本代表だったが、エースの釜本邦茂などメキシコ五輪当時の選手が抜けていくと、後継者の育成ができていなかったため弱体化が進んだ。

 その結果、五輪でもW杯でもアジア予選を勝ち抜くことができず、韓国には完敗続き。東南アジアのチームとも勝ったり負けたりという状態だったので、当然、代表人気、ひいてはサッカー人気は冷えこんでいく。

 1985年に行なわれたメキシコW杯予選では北朝鮮や香港を破って最終予選に駒を進め、国立競技場をほぼ満員にしたが、韓国に連敗してW杯初出場は夢に終わった。

 そんな状態だったから、「インドネシアが相手では観客は集まらない」と日本サッカー協会が思ったのか、試合は小さな西が丘で行なわれることになったのだ。

 実際、5月に行なわれたアウェー戦で、日本代表は香港、インドネシア相手に2試合ともスコアレスドローに終わっていた。

 迎えた試合当日、雨が降り続けて西が丘のピッチは泥沼と化していた。当時、日本のサッカー場はまだ芝生の育成がよくなく、この時は芝生がはげてしまっていたのだ。

 ぬかるみのなかの試合で、日本はなんとか5対0で勝利したが、インドネシアのモハメド・バスリ監督は「こんなグラウンドで試合をしたことがない」と酷評される始末。結局、北朝鮮、インドネシア、香港と戦った1次予選で、日本は2勝3分1敗という成績であっけなく敗退してしまった(イタリアW杯には韓国とUAEが出場)。

 試合には勝利したものの、西が丘の泥沼のようなピッチで行なわれたインドネシア戦は日本サッカーの長い低迷期のなかでも、最悪の"黒歴史"のひとつだ(そのせいか、その試合を記憶している人は多くないようだ)。

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