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サッカー日本代表が対戦するオーストラリアサッカーの歴史と日本との長いライバル関係 (3ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【2006年ドイツW杯での苦杯】

 こうして、オーストラリアのサッカーは国内ではマイナーだったが、ワールドカップ出場経験もあり、日本より少し強い程度の存在だった。だが、1993年にJリーグが始まると日本の強化が急速に進んだ。

 一方、オーストラリアでも21世紀に入ると改革が進んだ。

 2002年の日韓W杯でサッカーへの関心が高まったことをきっかけに、2005年には新しいプロ・リーグとしてAリーグが始まった。「Aリーグ」という名称は、もちろん「Jリーグ」を意識したものだ(「ブダペスト」とか「クロアチア」といった民族的ルーツを示すクラブ名は禁止され、「都市名+愛称」で統一)。

 同年には、2002年W杯で韓国をベスト4に導いたフース・ヒディンクを代表監督に招聘。その甲斐あって、2006年のドイツW杯出場に漕ぎつけた。W杯出場は、奇しくも同じドイツで開催された1974年大会以来32年ぶり。そして、その初戦でオーストラリアは日本と対戦した。

 日本は中村俊輔のややラッキーなゴールでリードしたが、試合終盤にヒディンク監督は積極的に交代カードを切り、84分にティム・ケーヒルのゴールで同点とすると、さらに2点を追加。3対1で日本を破った(オーストラリアはラウンド16進出に成功)。日本はまたもライバルのオーストラリアに苦杯をなめさせられた。

 日本戦で同点ゴールを決めたケーヒルは、当時イングランド、プレミアリーグのエバートンで活躍していた。その他、ハリー・キューウェル(横浜F・マリノス前監督)はリバプール、マーク・ブレシアーノはセリエAのパルマなど、欧州の強豪で活躍する選手も多かった。

 そんな、長い長いライバル関係にある日本とオーストラリアは最近もさまざまな舞台で激突を繰り返している。

 2011年にはアジアカップ・カタール大会決勝で対戦し、延長戦の末に李忠成の決勝ゴールで日本が勝利。W杯最終予選では2010年大会から常に同一組だが、2018年ロシアW杯予選では日本はホームで勝利し、アウェーで引き分け。2022年カタールW杯予選では2連勝と、このところ日本が優位に立っているのは間違いない。

 さて、2026年大会予選でも再び同一組となった日本とオーストラリア。最終予選序盤では苦戦の連続で監督交代に踏みきったばかりのオーストラリアだが、はたして日本に対して一矢を報いることはできるのだろうか?

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著者プロフィール

  • 後藤健生

    後藤健生 (ごとう・たけお)

    1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。

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