パリ五輪でのなでしこジャパンのメダルに期待 28年前のアスリート優位状況からテクニック&戦術の時代へ (3ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【五輪女子サッカーのスタートは1996年アトランタ大会】

 僕が、初めて五輪の女子サッカーを見たのは1996年のアトランタ大会だった。女子サッカーが初めて五輪種目に入った大会だ。

 アトランタ大会は男子のU-23日本代表(西野朗監督)が28年ぶりに五輪出場を果たし、初戦でブラジル相手に1-0で勝利。「マイアミの奇跡」を起こした大会だ。

 女子も、前年にスウェーデンで行なわれた女子W杯でベスト8進出を果たしたおかげで出場権も獲得していたのだが、残念ながら僕はアトランタ大会では日本女子の試合を見ていない。男子中心に観戦日程を組んだので、女子の試合まで手が回らなかったのだ。

 僕が観戦したのは、男子と同会場で行なわれたスウェーデン対中国、アメリカ対スウェーデン、スウェーデン対デンマークの3試合だった。

 もちろん、僕はそれまでにも1981年にイタリアが来日して神戸と東京で行なわれた親善試合をはじめ、女子の国際試合は何度か見たことがあったが、多くは親善試合。公式戦としては1994年のアジア大会くらいのものだった。当時は、女子サッカーのテレビ放映などほとんどなかったから、世界レベルの女子の試合はアトランタ五輪で初めて目にしたのだ。

「第一印象」は、とにかく日本の女子サッカーと世界のフィジカル能力の違いだった。

「これは、テクニックや戦術でどうにかできるレベルの差ではない」

 それが、僕の感想だった。

 日本では、女子のトップアスリートの多くは伝統ある陸上競技や水泳。団体競技であれば、1964年の東京五輪で金メダルを獲得して一躍人気競技となったバレーボールや、バスケットボールをやっていた。女子サッカーというのは、まだまだ、競技人口が少なく、女子のトップアスリートはサッカーをやっていなかった。

 それに対して、アメリカではアスリート能力の高い女性の多くがサッカーをしていたのだ。

 アメリカで最も盛んなボールゲームはアメリカン・フットボールだが、この競技はコンタクトプレーが激しすぎるので、州によっては男子高校生もプレーを禁止されていた。まして、女性がやるスポーツとは考えられていなかった。

 そこで、サッカーこそ女子が行なうのにふさわしいボールゲームと見なされたのだ。

 当時、僕は横浜にあるアメリカの大学が運営する学校で教師をしていた。

 日本研究を目指す全米の大学院生が、1年間日本に送り込まれて日本語などの教育を受け、その後、日本の大学に留学したり、日本企業で働いたりできるようにサポートする学校だった。

 ある時、学生たちが「スポーツをやりたい」と言い出した。では、何をやるのか? 彼らが出した結論は「サッカー」だった。理由は「男女が一緒にプレーできるから」だった。

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る