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アテネ五輪メンバー外だった鈴木啓太からパリ五輪世代へエール「目指すべきはパリではなく......」 (3ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

――パリ五輪のU-23 日本代表にも、最終予選で活躍していながら本大会に行けない選手が出てくると思います。

「メンバーに入れなかったのは、監督が選ばなかっただけであって、その選手のプレーが否定されているわけじゃない。とはいえ、悔しいでしょうし、なぜと思うこともあると思いますが、そこをバネに見返すぐらいの気持ちでプレーすることが大事だと思います。実際、僕も落選した直後のナビスコカップで自分のベストゲームのひとつと言えるぐらいのパフォーマンスを発揮できたんです。アテネに縛られた自分が解放されたようで、吹っ切れてプレーできました。自分のキャリアを考えた時、このアテネ落選が大きな転機になりました。だからパリ五輪でそういう辛いことがあったとしても、自己肯定感を高め、自分を叱咤してパリ五輪組以上の成長を見せればいいと思います」 

 パリ五輪は、アテネ五輪から20年後の大会になる。この年月で、五輪に対する位置付けはメダル獲得からW杯に向けての強化育成の場になりつつある。

――鈴木さんは、個人的に、この20年間で五輪の立ち位置に変化を感じますか。

「僕は、A代表であろうが、五輪であろうが日の丸を背負って戦う試合は、勝つことが求められると思っています。OA枠を起用しながらメダルや勝つことを意識しつつ、W杯で活躍する選手をどう育成していくのか。矛盾しているけど、それが今の五輪に求められているものでしょう」

――当時の山本監督は「アテネ経由ドイツ行き」とよく言っていました。

「パリ五輪世代の選手が、本当に目指さないといけないところはパリではないんです。北中米W杯なんですよ。みんな、そこを狙っていると思いますよ。僕らもドイツW杯を狙っていましたが、実際にはドイツの次の2010年南アフリカW杯にアテネ世代の選手が多く出場し、ベスト16まで進みました。今回、パリ五輪世代の選手が2年後の北中米W杯を目指しているのか、それとも6年後のW杯で活躍するのか分かりませんが、僕らの時代からキャッチフレーズは変わらないと思うんです。『パリ経由北中米行き』で、ひとりでも多くの選手がA代表に上がり、ベスト8の壁を超えて行く力になってほしいと思います」


■Profile
鈴木啓太(すずきけいた)
1981年7月8日生まれ。2000年に浦和レッズに加入し、2002年からはアテネ五輪を目指すU-23日本代表に召集される。最終予選ではキャプテンを務めたが、本大会には選出されなかった。2006年からはA代表に召集され、オシムジャパンの中盤を支え続けた。浦和レッズ加入から15年間浦和一筋を貫き、惜しまれつつも2015年に現役を引退。

著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。

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