アテネ五輪メンバー外だった鈴木啓太からパリ五輪世代へエール「目指すべきはパリではなく......」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

 OA枠の選手が入ると、どうしてもその選手への依存度が高まったり、入れてみないと分からないところがあり、化学反応がポジティブにもネガティブにもなる。

――アテネ五輪の時、小野さんへの依存度が増し、みんな彼を見てプレーしていました。突出した選手を入れると、パリ五輪でもそうなる可能性が高くなると思いますか。

「僕らの時代、伸二さんへの依存度が高いのは、ある意味、仕方なかったと思います。技術レベルがずば抜けて高く、当時はまだ珍しい海外組じゃないですか。欧州への憧れをみんな持っていたんですけど、今は海外組がたくさんいる。僕らの時ほどOA枠の選手に依存することは、あまりないと思います」

――日本代表もそうですが、U-23日本代表も1/3程度は海外組ですね。

「今は、若い時からどんどん世界に出るようになって、A代表を狙える選手がたくさんいるじゃないですか。僕らの時は、伸二さんたちの『黄金世代』と比較されて『谷間の世代』と言われ、力の差をかなり感じていました。それでも僕らには、『谷間』と言う人たちに対する反骨心みたいものがあったので、チームは一体感があったと思います。ただ、アテネ五輪で結果を残すことができなかったので、『谷間の世代』と言われても仕方ない部分がありますが......」

 鈴木は、最終予選時、キャプテンだった。そのキャプテンを本大会のメンバーから外すのは、山本監督も苦渋の決断だったはずだが、実際のところ監督との関係は、どうだったのだろうか。

――最終予選の時、山本監督から何か要求はあったのですか。

「特になかったですね。チームのことで個人的に何か言われることはなかったですし、特に話し掛けられることもなかったです。僕は、キャプテンであろうがなかろうが、試合に出る以上、果たすべき役割があったので、それをしっかりこなすことだけ考えていました」

――アテネ五輪の出場権を獲得してからも変化はなかったのですか。

「最終予選が終わってから五輪のメンバー発表までの間、自分のパフォーマンスがあまりよくなかったんです。その頃から山本さんから急に話しかけられるようになって、なんかおかしいなぁと思い始めたんです。それまで話しかけてくることなんてなかったですから。その時、これは自分の感覚ですけど、(五輪のメンバーに)入らないなと思ったんです。実際、その後の試合の起用方法を見てもそうですし、沖縄合宿に行った際もすごく話しかけてきて。山本さんはポジティブなイメージで来ているのに、僕がネガティブに捉えていただけかもしれないですけど、ずっと違和感が拭えなくて......。そうしたら最終的に登録メンバーから外れたので、いろいろつながったなと思いました。キャプテンであろうがなかろうが、必要とされる選手は生き残っていくわけで、その時は悔しかったけど、まだ力不足だったということだと思います」

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