五輪オーバーエイジは必要か?(1) 2008年北京・反町康治は「U-23世代ではどうしても足りないところがあった」 (2ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【遠藤保仁と大久保嘉人を呼びたかったが...】

 そうした条件を満たす選手として、遠藤保仁をリストアップした。

「ヤットはサイドのMF、ボランチ、トップ下もできる。ゲームの流れを大きく変えられる力があるし、リスタートのキッカーも任せられる。私自身は五輪世代の監督と同時に日本代表のコーチをやっていて、彼のキャラクターもわかっていた」

 北京五輪の初戦は8月で、チームは7月上旬の候補合宿から始動することになっていた。遠藤も候補合宿に招集されていたのだが、体調不良で不参加となってしまう。ウイルス性感染症を発症したのだった。この時点で、遠藤の招集は不可能となった。

 大久保嘉人の招集にも動いた。2004年のアテネ五輪に出場した彼も、攻撃の複数ポジションを任せられる。

 2007年のJリーグでは14ゴールを挙げており、2008年も5月までに5ゴールを記録していた。日本代表でも2月と6月のワールドカップ予選で得点を決めている。

 ところが、所属するヴィッセル神戸との調整がつかなかった。Jリーグが五輪期間中も行なわれため、クラブが「NO」と言えば、それが最終決定になる。断念せざるを得なかった。

「五輪は協会側に選手を拘束する権利がなく、ヨーロッパでは五輪世代でもリリースしないケースが多々ある。日本ではまだそういうことはないかなと思っていたけれど、それが出た。ある意味で日本サッカーが発展してきた、ということでもあったと思う」

 オーバーエイジ3人目は、五輪世代のコンディションとの兼ね合いだった。

 大分トリニータ所属のGK西川周作がケガの影響などもあって、2007年シーズンは出場試合数を伸ばせていなかった。第2GKの山本海人も、清水エスパルスで定位置を掴んでいない。

 2008年のJリーグで彼らが出場機会を得られない場合に備えて、反町監督はオーバーエイジ候補の選手側に打診をしていた。幸いにも西川が開幕からポジションを確保したことで、オーバーエイジのGK招集は、その必要がなくなった。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る