宮澤ひなた「マンチェスターでやってきた自分の成長した姿を見せたい」パリ五輪に向け完全復活宣言 (3ページ目)

  • 早草紀子●取材・構成 text&photo by Hayakusa Noriko

 本当にあのケガはキツかったですね。じん帯も切れていて、初めての手術でしたから。歩けるようになるまで、孤独でした......。それでも、リハビリ中に「オリンピックには間に合う!」「間に合うなら、この時期(のケガ)でよかった」っていう気持ちに変化していきました。

――戦列を離れてからおよそ4カ月後、今年4月のアメリカ遠征からなでしこジャパンにも復帰しました。

宮澤 正直、あそこでブラジルと対戦して「また、ああならないか」という怖さがありました。でも、オリンピックでもブラジルと当たるから、そこまで怖さを持っていくよりも、その前に(怖さを)消しておいたほうがいい。今、克服できることがひとつある、というふうに思うようにしました。

 そして実際、「大丈夫だ」と自分のなかで確認できた。ですから、あのタイミングで(代表に)呼んでもらえたのは、自分にとって大きな一歩になりました。

――宮澤選手が戦列を離れている間に攻撃陣の争いも激化。先日、パリ五輪代表メンバー発表前の最後のスペイン遠征(ニュージーランドと親善試合を2試合消化)もありましたが、その辺りをどう捉えていますか。

宮澤 みんな、目指しているものが一緒ですからね。他にも何人かケガ人が出て、(ワールドカップからは)メンバーも少し変わっているなかで、五輪代表メンバーの枠は18。すごくシビアだと感じています。

 前回のアメリカ遠征では、試合に絡むというよりも(自分は)調整の色が濃くて、アピールの機会が少なかった。ですから、スペイン遠征ではその時以上にパフォーマンスのよさをアピールすることが必要でした。でも初戦では、左サイドで初めて(北川)ひかるさん(INAC神戸レオネッサ)、(古賀)塔子(フェイエノールト)らと組んだ難しさもあって、まったくボールに触ることができませんでした。

――試合の中日には、同サイドの選手たちと積極的にコミュニケーションを取っていました。おかげで、2戦目では初戦よりもいい形が作れたように見えました。

宮澤 まだ走る角度は浅いですけど、初戦よりも少しやりやすくなったことで、ボールには触れるようになりました。まだまだですけど、ひかるさんとは同じ感覚を持てていますから、お互いのよさを生かし合えるようにしたいです。

――後半には、ウィングバックのポジションにも入りました。

宮澤 それについては、ワールドカップで(遠藤)純(エンジェル・シティ)と組んだ時、彼女が中を伺う時の自分の位置だったので、少し懐かしかったです。18名という枠を考えて、自分がウィングバックに入ることは練習の時からやっていたので、頭の片隅には入っていました。あくまでもオプションですけど、久しぶりに前が開けて思いきり走れましたし、可能性は広げていかないと。

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