どうした韓国!? サッカー五輪代表の歴史的予選敗退はなぜ起きた 日本も油断できない共通の事情 (2ページ目)

  • 吉崎エイジーニョ●取材・文 text by Yoshizaki Eijinho

【ひとりの欧州組招集ドタキャンでチームが崩れた】

 では、そんな状態の韓国がなぜ、予選敗退の憂き目に遭ったのか。

 ファン・ソンホン監督は敗退後、27日に韓国に戻り、仁川空港での会見でこう口にした。

「我々がアジア圏で相手を完全に圧倒することは難しい」

 ちょっとした判断ミスが命取りになる。「ミスだ」とその時に気づかない点とて、あとで大きな敗因となりうる。なんだかんだでアジア最終予選はやり過ごせる。そんな時代はとっくに終わっているのだ。

 ファン・ソンホン監督は同日の会見で「責任はすべて監督である私にある」とし、敗退の理由をいくつか挙げた。そのうちのひとつがこの点だ。

「センターバック(CB)をやれる選手がいなかった」

 敗れたインドネシア戦では、本来ボランチの選手をDFラインの中央に据え、左はCBも可能なサイドバックの選手、右にのみ本職のCBを起用するという布陣を敷かざるを得なかった。

 たったひとりの欧州組の選手招集がうまくいかなかった点から、布陣が崩れていったのだ。

 ブレントフォード(プレミアリーグ)のCBキム・ジス。

 数人の選手は「リーグが佳境」といった理由で欧州の所属クラブが招集を拒否するなか、彼は「招集可能との返事を口頭でもらっていた」(27日の会見にてファン・ソンホン監督)。なぜなら所属クラブで定位置を掴めていなかったからだ。だからファン・ソンホン監督は、彼を軸としたCBの構成を考えていた。

 しかし、待てど暮らせど正式な返事が来ない。大会直前、カタールに入っても返事が来ない。結局は「ドタキャン」された。ブレントフォードは残留争いをしていて、大事を取ったクラブがキムを送ることを最終的に断ったのだった。

 この結果、CBは監督が信頼を置くソ・ミョングァン(富川FC)とピョン・ジュンス(光州FC)、そしてファン・ソンホン監督からの信頼度が低い2部リーガーのイ・ジェウォン(天安シティFC)の3人という異例の事態に。しかもソ・ミョングァンは大会2戦目の中国戦でハムストリングスを負傷し、全治8週間の診断を受けた。

 ファン・ソンホン監督は、報道陣から「なぜエントリーに最初から多めにCBを入れなかったのか」という質問にこう言いきった。「国内には(国際大会でCBをやれる)選手がいない」。

「主力たる欧州組の招集が流動的」→「それが致命傷になりうる」→「二の手、三の手の準備までが重要」。あらためて言うまでもないことだが、この世代の代表チームの恐ろしさとして知っておくべき点だ。

 現に日本も、2016年リオデジャネイロ五輪の際に、A代表招集経験も有しチームの主力だったFW久保裕也が直前に当時所属していたスイスのクラブの招集拒否に遭い、そこからチームを立て直せなかった事例もある。

 そのほか、ファン・ソンホン監督は自身が経験したチーム作りの難しさとして、「アジア大会と五輪、4年間のうちに2度結果を強く求められる構造」を挙げた。計画的に強化できない。だからCBも育てられなかった。この点は兵役免除も関わってくる問題で、韓国ならでは難しさだと言える。

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