中田英寿、中村俊輔、小野伸二の3人をなぜトルシエは同じピッチに立たせなかったのか (2ページ目)

  • 田村修一●取材・文 text by Tamura Shuichi

 屈強な中田はフィジカルコンタクトに強く、それはヨーロッパでプレーするうえで必要な強さでもあった。そうであるから、ヨーロッパでもすばらしいキャリアを築くことができた。

 小野はプレーの理解能力で卓越していた。その知性で、優れたパスを供給してアシストを重ねた。ピッチ外でも俯瞰的に状況を捉えて、適切な判断を下すことができた。

 中村の場合は、足の代わりに手を備えているようだった。まるで手で扱っているようにボールを自由にコントロールし、FKは世界のトップ3に入るほどに優れていた。引退している今でも、(FKは)世界のトップ10に入る力はあるだろう。彼の左足にはそれだけの力がある」

2000年のシドニー五輪、アジアカップでは存在感を示した中村俊輔だが...。photo by Kyodo News2000年のシドニー五輪、アジアカップでは存在感を示した中村俊輔だが...。photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る ただ、中田英と小野が年齢以上に精神的に成熟していたのに比べ、中村のメンタリティはふたりとは異なっていた。

「(当時の)中村はひとりでいることが多く、オープンではなかった。積極的にコミュニケーションを取ることもなく、ちょっと内気で閉鎖的だった」

 トルシエは若い世代――とりわけ「黄金世代」の選手たちに、アフリカの現実を経験させることで精神的に成長し、成熟していくことを促した。中村もブルキナファソやナイジェリアに行っていたら、その後は変わっていたのだろうか。

「それはわからない」とトルシエは言う。

 アジアカップで本意ではないポジションを与えられた中村は、その圧倒的なパフォーマンスとは裏腹に、精神面でストレスをため込んでいった。優勝を決めたあとのインタビューでも彼は、自らの望むポジションでプレーできなかったことについて「サイドとか......」と語って、言葉を詰まらせた。

 中村の葛藤は、その後も深まっていった。負傷によりコンディションを落とした中村をトルシエは起用せず、中村がW杯の代表メンバーに選ばれるか否かは国民的な関心事にまで高まっていった。

「中村は、彼を取り巻くメディアにも苦しんでいた。自身の存在が日本代表を超えて、『どうしてトルシエは彼を起用しないのか』『はたしてW杯に招集されるのか』といったことが、大きな話題になっていたからだ。だから、自分を閉ざしてしまったのも仕方のないことで、私との軋轢に悩み、気持ちも重くなったのだろう」(トルシエ)

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