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「いい加減、代表で勝ってみたい」「パリ五輪、チャンスがあれば」久保建英はワールドカップで新たな目標を見つけた (2ページ目)

  • 了戒美子●取材・文 text by Ryokai Yoshiko
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

【もっとやれると思っていた...】

 試合は久保を必要とする展開だった。久保がいればと、後半、延長戦、そしてPKと感じずにはいられなかった。とはいえ、テレビ観戦していた4年前とはまったく違う状況であることを喜ばしくも思っている。

「もともと僕、4年前プロになれるかなれないかの選手だったので、そもそも4年前からワールドカップを意識していた選手ではなかった。ワールドカップをいちファンとして見ていた選手だった」

 チーム最年少の21歳ではあるが、4年前の自分を"子ども"や"学生"とは捉えておらず、きちんと"選手"として認識しているあたり、いかに久保が厳しい環境に置かれてきたかを感じさせる。いかに幼い頃からプロになること意識し、ワールドカップは意識できない遠い世界の話だと言うことを認識していたか、逆説的にうかがわせる。

 覚悟をもって臨んだ今大会、久保は16強の前に自身が壁にぶつかった。

「よく言えば、チームとしてやることはやれましたけど、悪く言えば、自分のやりたいことはやれなかった。こういう大会でチームが優先されるのは当たり前ですけど、押し通すくらいの"個"が僕にはなかったかと。

 自分の見誤りというか、自分の見積もりの甘さと言うか、僕の今の状態なら押し通せるくらいの個があるだろうと、自分の勘違いだったなと」

 もう少し詳しく言うと、どういうことか。

「まあ、もっとできると思ったというか。チームのタスクをやったうえで、もっとできると思いましたけど。そこまでの個はなかった。

 対戦相手によって、今回の代表はやっぱりサッカーを使い分けていたし、そのなかで自分が出た格上相手の2試合は、当然前半はああいう(守備的な)戦い方を選択した。あの戦い方のなかでもボールを持った時にもっとやれると思っていたけど、さすがにそこまでの個がなかったというのが感じたこと」

 ただ、テレビで見たクロアチア戦、仲間の奮闘は頼もしかった。

「PKじゃなかったら勝っていたと思いますし、客観的に第三者が見ても日本のほうがいいサッカーをしていました。あのまま、いわゆる判定勝ちみたいなものがあれば、3-0で日本が勝っていたと思いますけど。

 壁というか、なんでしょうね。PKまで行ったので、運ではないと思いますけど。本当に遠藤(航)選手も言ってましたけど、PKまで行かせてしまったことが悔しかった」

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