明神智和が語る日本サッカーの進歩。「異常」な状態にあった20年前から世界のスタンダードに到達した (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Getty Images

 だがその一方で、チーム作りに時間がかけられなくなっているのも確かだろう。20年前は、しばしば国内で代表候補キャンプが行なわれていたものだが、現在は練習のためのキャンプなど考えられず、公式戦であってもヨーロッパ組が試合前日にバタバタと合流。そんな事態も珍しくなくなった。

「それこそ20年前であれば、日本からヨーロッパ遠征に行っていたのが、今はもうヨーロッパにいる選手が現地で集まるだけ。時代の違いは、ものすごく感じます。

 その分、ひとつのチームをしっかり作るっていう部分では、難しいところはあると思います。でも、それがもう世界のスタンダード。むしろ20年前は、日本がまだまだ世界に追いついていなくて、"異常"な状態だったんだと思います」

 ワールドカップ出場当時は柏に所属し、その後、G大阪、名古屋グランパス、長野パルセイロと国内クラブを渡り歩いた明神。自分も海外でプレーしてみたかった――。そんな思いはないのだろうかと尋ねてみると、「いやもう、全然(苦笑)」。即座に答えは返ってきた。

「もちろん、漠然と『一回くらいはやってみたかったな』っていうくらいは思ったりもしますけど、自分にはその決意も、勇気も、チャンスも、実力も、すべてがなかったので。ただ、ヨーロッパのトップクラブの練習や試合の雰囲気がどういうものかっていうのは、いくら人に話を聞いて、ああ、そうなんだってわかった気になっても、本当のところは肌で感じないとわからないことだと思うので。そこはなんか、うらやましいなとは思いますけどね(笑)」

 コーチという立場で日々接している高校生たちも、自分が10代だった頃とは、まるで異なる意識でサッカーをしていると感じている。

「今は見るものが違いますからね。映像もたくさん見られますし、みんなもっぱら海外サッカー。本当に詳しいですよ。だから、将来の夢も、プロになる、代表に入る、海外でプレーする、っていう3つがセットになっている。僕らの頃では、そんなふうに思えなかったですから」

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