「客観的に見ても実力的にそうだった」前田遼一がW杯に行くためには何が足りなかったのか (4ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by MEXSPORT/AFLO

 28歳にして初めてJ1得点王に輝き、日本代表で最も活躍したのは30歳前後。そのキャリアだけを聞くと、遅咲きの印象を受ける前田も、さらに時間を遡れば、10代にして年代別代表の常連となり、19歳だった2001年にはワールドユース選手権にも出場している。

「僕自身、若い時に(年代別)代表に入らせてもらったことで、多少なりとも勘違いはしていたと思います。でも、そうなっている間は本当に伸びなかったですし、苦しい時期もありました。成長し続けていないと、すぐに追い抜かれてしまう世界ですからね」

 それでも、前田が淘汰されることはなかった。現役時代に積み重ねた国際Aマッチ出場33試合は、その半分以上が30歳を過ぎてからのものである。

 いわば、早熟にして晩成。本来成立し得ない稀有なキャリアを歩んだ前田には、だからこそ、今の若い選手たちに伝えられることがあるはずだ。

「いい時こそ満足しないってことは、下の子たちに伝えたいなと思います。当たり前のことですけど、結局は一日、一日を本当に100%でやっているかどうか。それがすべてだと僕は思っているので。やっぱり、そこは伝えていきたいですね」

 そして"前田監督"は、現在ワールドカップ・カタール大会出場を目指し、アジア最終予選を戦っている日本代表の後輩たちにもこんなアドバイスを送る。

「周りの声を聞いていると、もっと(日本が相手を)圧倒する試合を見たいのかな、って感じますけど、僕のなかでは、そんなに甘くない、っていう思いがありますね。

 最終予選になると、周りの声がより大きくなるっていうのは、自分自身も感じました。でも、最終予選はどんな形でもいいから、とにかく勝ち点3をとることが目的なので。

 今戦ってる選手たちもみんなわかっていると思いますが、チームがひとつになって戦えば、いい結果が出ると思います。周りの声に惑わされず、その声を自分たちがひとつにまとまる力に変えて、より強い集団になって戦っていってほしいなと思います」

(おわり)

前田遼一(まえだ・りょういち)
1981年10月9日生まれ。兵庫県出身。暁星高卒業後、ジュビロ磐田入り。加入当初は選手層の厚いチームでなかなか出番を得られなかったが、4年目からは主力FWとして奮闘。2009年、2010年には得点王に輝いた。その後、2015年にFC東京に移籍し、2019年からはFC岐阜でプレー。2021年の年明けに現役引退を発表した。ジュビロ在籍時には日本代表でも活躍。Aマッチ出場33試合、10得点。現在はジュビロ磐田U-18の監督を務めている。

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