日本代表の惨敗はドイツW杯開幕の5日前に見えていた。甘すぎたジーコへの評価 (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

【トルシエをなぞり始めたジーコ】

 ジーコジャパン時代は、日本代表に欧州組が増加した時期でもあった。ジーコは、中村、稲本、中田英寿、中田浩二、高原直泰、大黒将志など海外組が参加できる場合は4-2-2-2をメインに使用したが、国内組で戦う場合は、3-4-1-2というトルシエ型3バックを多く用いるようになっていた。

 トルシエ時代、ジーコはそのやり方を一貫して批判していた。出演したNHKのスポーツニュースで、遠慮ない言葉を堂々と吐いていた。そのトルシエが日本に持ち込んだスタイルを、ジーコはドイツW杯が近づくと受け入れた。Jリーグで一番流行っている布陣だからという理由で。筆者はここにジーコの弱さ、限界を見た。威勢よくトルシエを批判した人物が、トルシエが日本に持ち込んだサッカーにすがる姿は、けっして格好のいいものではなかった。

 ちなみに先述のホンジュラスは、同じ3バックでもトルシエ式=ジーコ式とは概念の異なる、まさに5バックになりにくい攻撃的な3バックでジーコジャパンに臨んできた。3分割表記にすると3-4-3。4分割にすると3-3-3-1。それは、2002年日韓共催W杯でフース・ヒディンク監督率いる韓国代表が用いたオランダ型の3バックだった。

 サイド攻撃を両SB に頼るジーコジャパンとは異なり、ホンジュラスはサイドを2人がかりで突いてきた。それが5-4というスコアになった原因だ。日本のメディアは相変わらず、「ジーコは結果を出した」と称賛する一方、はるばる日本に駆けつけた小国と大接戦を演じることになった理由には触れようとしなかった。

 ドイツW杯本大会の抽選会があったのは2005年12月。日本などアジア各国の入った第4シード国の抽選は最後に行なわれた。日本の抽選順はその後ろから3番目で、その時、空いていたのはG組、F組、H組だった。筆者は、フランス、スイス、トーゴがすでに決まっていたG組、スペイン、チュニジア、ウクライナのH組に入ってくれと念じた。

 ブラジル、クロアチア、オーストラリアが所属するF組だけは避けたかった。ブラジルには勝ち目がない。クロアチアも同様。大善戦しても引き分けが精一杯だ。唯一、可能性を感じさせるオーストラリアにしても、監督はヒディンクだ。ウルグアイと戦った大陸間プレーオフの直前に、オーストラリア代表監督に就任。南米の強国を見事下して本大会出場を決めていた。

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