「今考えると、すごい話」と明神智和。日本代表の歴史的な勝利後、ある人物の登場にロッカールームでの盛り上がりは最高潮に達した

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Getty Images

日本代表「私のベストゲーム」(3)
明神智和編(後編)

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 日本代表を経験したことのある選手であれば誰もが、自分が出場した試合のなかからベストゲームをひとつだけ選ぶことは、なかなか難しい作業に違いない。

 明神智和もまた、例外ではなかった。

「2試合でどちらにしようか、迷いました」

 明神が言う2試合のうちのひとつは、今回選んだワールドカップ日韓大会でのロシア戦。

 そしてもうひとつが、2000年アジアカップ準決勝での中国戦だ。

「僕個人だけのことにフォーカスしたら、(自分のミスから失点して)どん底を味わい、そこから(決勝ゴールを決めて)最高の気分を味わったっていうことでは、非常に印象深い試合です」

 言わば、チームにとって価値ある試合を採るか、自分にとって価値ある試合を採るか、の二択。

 はたして、明神が選んだのは前者だった。献身的、かつ堅実なプレーが持ち味だった彼らしい選択、と言えるのかもしれない。

 ロシアを相手にワールドカップ初勝利を手にした日本は、続くチュニジア戦にも2-0と勝利した。その結果、日本のグループリーグの成績は2勝1分けの勝ち点7。堂々の1位通過で、初の決勝トーナメント進出を決めている。

 それを考えれば、このチュニジア戦もまた日本にとっては歴史的一戦だったと言えるわけだが、「チュニジア戦の時はチームとしても、個人としても、間違いなくオレたちは勝てるっていう、ちょっとした余裕がありました」と明神。「絶対勝たなきゃいけない。勝ち点3をとらなきゃいけない。そういう緊張感があったロシア戦とは違っていたかもしれません」。そんな記憶が、ロシア戦の印象を強める。

 ロシア戦に大きなプレッシャーがかかっていた要因のひとつには、日本が開催国であったことも挙げられる。

 というのも、それまでのワールドカップの歴史において、開催国がグループリーグ敗退に終わったことは一度としてなかったからだ。のちに2010年大会で南アフリカがグループリーグで敗退し、その歴史は途絶えることになるのだが、当時はそれが開催国の果たすべき使命だった。

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