日本サッカーを育てた名将ランキング。1位はあの世界的指導者か、日本代表元監督か (2ページ目)
9位:加茂 周
実業団時代の日本サッカーは、一流選手も一般サラリーマンと同待遇で、引退後は定年まで会社に勤めるのが普通であり、監督も会社から給料をもらい、強化に失敗しても社業に戻るだけだった。
だが、加茂周は日産自動車(現、横浜F・マリノス)監督に就任する時に単年契約、つまりプロ監督となることを選択。そして、選手の雇用形態もプロに近い形の契約として代表クラスの選手を多数入団させ、県リーグ所属だった日産を日本最強クラブに育て上げて数々のタイトルを獲得した。
つまり、加茂はアマチュア時代からプロ時代への過渡期に活躍したプロデューサー型の指導者だったのだ。全日空(後の横浜フリューゲルス)時代にはスロベニア人のズデンコ・ベルデニックをコーチに迎えて、「ゾーンプレス」として知られる当時では最新のプレッシング戦術も取り入れた。
(後藤健生/文)
8位:風間八宏
日本人監督のなかで、風間八宏は最も革新的なサッカーに取り組み、一つの答えを叩き出した。優れた監督、勝てる監督は、ほかにいくらでもいる。しかし新しいものを作った「創造的な日本人指導者」として一線を画す。
川崎フロンターレで起こした‟革命"は、サッカーのヒントに満ちていた。ボールプレーの極意というのか。多くの選手を啓発し、今もそのモデルのなかで、選手が洗練されている。
際立った論理と、膨大な熱量を同時に持つ指導者と言える。
15年ほど前、筆者は風間氏に1日密着する取材をした。午前中は横浜の大学での練習指導。午後は車で清水へ移動し、夕方から夜に再び地元少年を指導。遅い夕食を取った後、都内のスタジオまで車で戻り、深夜から欧州サッカーのテレビ解説をしていた。指導している間はもちろん、車内でもぶっ続けのサッカー論だった。
‟サッカーを生きる"ことで、その革新性は生まれたのか。日本サッカーにおいて、その存在は特別だ。
(小宮良之/文)
7位:岡田武史
日本サッカーで、「最も勝てる監督」として一つの道筋を示した。マリノスでは2003、04年にJリーグを連覇。鉄壁の守備を作り上げ、歴史を作った。
代表監督としては2度、ワールドカップを戦っている。1998年フランスW杯では、日本を初めて世界に導いた。Jリーグが開幕し、日韓W杯開催も決まり、日本サッカーの気運が高まるなか、リリーフで窮地にいたチームをまとめた功績は大きい。2010年南アフリカW杯では、国外のW杯で初めてベスト16に導いた。
「人間万事塞翁が馬」
そんな達観した哲学で、集団を結束させた。久保竜彦、松田直樹のように、他の監督では扱いを持て余しそうな選手に対しても、求心力は抜群だった。また、若手を使うタイミングも心得ていて、世代交代を断行できるリーダーシップは特筆に値した。
ただプレースタイルは、「勝てる監督」というより「負けない監督」にとどまった。ディフェンスを堅牢に拵(こしら)え、相手の持ち味を消す。徹底した受け身の戦いは、日本サッカー発展のプロセスで不可欠だったが......。
(小宮良之/文)
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