サウジ戦で同じ失敗を繰り返す森保ジャパン。指揮官の悪手が目立つ不安の根源とは (2ページ目)
現在の日本代表は森保一監督が就任以来、縦に速い展開で相手を押し込み、ボールを失っても素早い守備への切り替えと強度の高いプレスで奪い返すサッカーを追求してきた。
昨年来コロナの影響でしばらく試合ができない時期はあったが、昨秋から今春にかけて行なわれた試合では、多少の出来不出来はあるにせよ、狙いどおりの試合が比較的コンスタントに、しかも、高いレベルで行なわれるようになっていた。
今春の2次予選で日本が大勝を続けたことは、相手が弱かったから、だけが理由ではない。それについては、森保監督の手腕を評価していいのだろう。
もし最終予選がすべて日本で、それも涼しい時期に行なわれ、試合ごとに1週間の準備期間があるというなら、日本は楽々と勝ち抜けるに違いない。
だが、それはつまり、選手が常に良好なコンディションで、元気ハツラツとプレーできることを前提にしているということだ。
裏を返せば、その前提が崩れた時の日本代表は、あまりに心許ないチームになってしまうということでもある。
昨秋のメキシコとの親善試合のように、明らかに相手の力が上だったために自分たちの狙いとするサッカーができなかった、というならあきらめもつく。
しかし、この最終予選での2敗は違う。
オマーン戦で言えば、海外組はシーズンが始まったばかりでコンディションが整っていなかったうえ、長距離移動と時差も重なり、まったくプレー強度が上がっていなかった。
そして、サウジアラビア戦に関して言えば、蒸し暑さに足を引っ張られていた。前半こそ強度の高いプレーができていたが、後半に入ると徐々に動きが重くなり、それとともにミスを増やした。
いずれにしろ、想定しうる問題である。結果として高いプレー強度が保てなくなっているのなら、考えられる対応策はふたつしかない。
選手交代で高いプレー強度を保つか、戦い方そのものを切り替えるか、である。
早めの選手交代を行ない、前半に近いプレー強度を保とうとするもよし。割り切って引いて守り、ロングカウンターを狙うもよし。本来のサッカーができないなら、別の手を打つ必要があったはずだ。
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