2021.08.31

W杯アジア最終予選と言えば? 脳裏に焼きついている試合「トップ3」

  • photo by AP/AFLO

杉山茂樹氏(スポーツライター)

1位=日本2-2イラク
1994年アメリカW杯最終予選(1993年10月28日/カタール)

 ドーハでイラクに敗れた瞬間、その場で筆者は平静を装うとした。スポーツの世界、サッカーの世界にはよくある話だと自らに言い聞かせたものだ。しかし、あれから28年の時を経た今、よくある話ではないことを実感している。貴重な体験以外の何ものでもなかった。「ロストフの悲劇」(2018年ロシアW杯ベルギー戦)比ではない。

 とはいえ、このイラク戦。"悲劇"である時間は短かった。ジョホールバルでイランに勝利した4年後には、エンターテインメントに昇華していた。すっかりいい思い出と化していた。ともあれ、日本国民にサッカーの競技としての魅力を余すことなく伝えた試合。サッカー人気を決定づけた一戦といって過言ではない。


2位=日本3-2イラン
1998年フランスW杯最終予選アジア第3代表決定戦(1997年11月16日/マレーシア)

 ジョホールバル。シンガポール国境を抜け、マレーシア国内に少し入った場所にあるそのスタンドを埋めた、約2万人の観衆は大半が日本人だった。当時の日本のサッカー熱を象徴する光景が、そこには全面的に広がっていた。後半14分、アリ・ダエイのゴールが決まり、2-1とリードしたイラン。実力的には日本より上のように見えたが、日本にとって幸いだったのは、イランがそこから守りを固めたことにある。

 何を隠そう、その頃から筆者はほとんどノートを取っていない。観戦に没頭することになった。夢中にさせられたと言ってもいい。城彰二のゴールで2-2とし、岡野雅行のゴールデンゴールで3-2とした逆転劇。試合が終わると、ジェットコースターから降りた瞬間のように、まともに歩行できなかった記憶は今なお、脳裏に刻まれている。三半規管に異常をきたすことになった、あのハラハラドキドキ感を再度、体感できる日が訪れることを祈りたい。


3位=日本2-0韓国
1998年フランスW最終予選(1997年11月1日/韓国)

 予選を一度も突破したことがない国がW杯本大会を開催した過去はない――2002年W杯を韓国と共催することが決まっていた日本に重くのしかかっていたのが、この史実。1998年フランスW杯本大会に出場することは、世界から日本に課せられた至上命題だった。韓国はこの条件をクリアしていた。日本と同組で争うこの予選でも早々に突破を決めていた。

 一方、日本は2戦を残した段階で韓国、UAEに次いでグループ3位。しかも、次戦は韓国とのアウェー戦。文字どおり、絶対に負けられない戦いだった。筆者も身の危険を感じながらソウル入りしたものだ。防弾チョッキに身を包み、蚕室スタジアムに向かったカメラマンもいたほどである。

 ところが、スタンドは極めて和やかなムードに包まれていた。「日本も我々と一緒にフランスへ」と書かれた看板も目に止まった。試合は2-0で日本の勝利。韓国がわざと負けたとは言わないが、手を抜いてくれたように見えた(?)。吃驚仰天(びっくりぎょうてん)とはこのことである。少なくとも筆者が観戦した日韓戦史上では、断トツの友好ムードに包まれた"緩い一戦"であった。