3連敗の代表でベストプレーヤーだった内田篤人。逆境と無念をバネにした北京五輪世代

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by AFLO SPORTS

五輪サッカーの光と影(4)~2008年北京五輪
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 本田圭佑、長友佑都の二人は北京世代の象徴と言えるかもしれない。

 ひと言で言えば、挫折に強かった。打ちひしがれた後、しぶとく反撃に出た。立ち上がるたび、大きくなっていった。

 それはこの世代の特色でもある。

 劣勢に対する耐性があったのか、不屈さが際立った。驚くべきことに、大半の北京五輪経験者はその後、苦難を乗り越えて、代表選手になっている。実は予選を戦う中でも、本田、長友、そして岡崎慎司、内田篤人、香川真司などは、当初の主力だった平山相太、カレン・ロバート、増嶋竜也などを押しのけて、チームは一新されていた。半分以上が入れ替わっており、そもそもしぶとさを信条とする選手たちだった。

「圭佑とは話が合うんですよ。あいつも上昇志向が強いから、サッカーの話になると、とことん熱い」

 2010年にスポーツ誌で行なったインタビューで、長友はそう明かしていた。

「でっかい目標を掲げて、『半端ないレベルでやっていこうぜ』という話ばかりしています。周りが訊いたら、"こいつら頭おかしいんじゃないか"って思うくらい弾けていますよ。でも、圭佑を追うって感じは嫌っすね(笑)。俺はどんどん強い相手と戦って、自分の道を行きたい。自分は厳しい環境のほうが強くなれるのは間違いないですね。それは昔からずっとそうだから」

 長友も本田も、ユースチームに目をかけられず、高校に進学し、プロの道をつかみ取った。自己陶酔にも似た野望をたぎらせ、日本サッカー界を牽引したのだ。

期待された北京五輪だが、日本は3連敗で終わった。写真は内田篤人期待された北京五輪だが、日本は3連敗で終わった。写真は内田篤人この記事に関連する写真を見る 2008年の北京五輪。日本はアメリカに0-1、ナイジェリアに1-2と連敗し、呆気なく大会を去ることが決まった。最終戦となったオランダ戦も0-1と完敗した。日本が過去に出場した五輪で、3連敗はこの大会のみ。女子サッカーがひたむきな戦いでメダルに迫って称賛されたのと対照的で、「男子は戦う気持ちが見えなかった。口ほどにもない」と批判された。

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