2021.07.20

「ヒデはすごかったよ」と松田直樹は言った。アトランタ五輪は日本の選手に何をもたらしたか

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by AFLO

五輪サッカーの光と影(1)~1996年アトランタ五輪

 五輪のサッカーは、世界最高を決める大会ではない。1992年のバルセロナ五輪以降は、23歳以下という規定の大会(※東京大会は24歳以下)となった。あくまで育成年代の頂点を競う大会で、世界最高を決めるワールドカップと区別された。

 欧州や南米のフル代表で活躍している若手トップ選手も、その多くが五輪出場を見送っている。東京五輪でいえば、キリアン・エムバペ(フランス/パリ・サンジェルマン)、ヴィニシウス・ジュニオール(ブラジル/レアル・マドリード)、ラウタロ・マルティネス(アルゼンチン/インテル)などがそうだろう。そもそもFIFAの開催ではないため、クラブに選手派遣義務はない。「世界の若手見本市」とも違い、位置づけが難しい大会だ。

 しかし、日本人にとっては世界と遭遇する貴重な大会と言えるだろう。過去、その空気を味わうことで、多くの選手が羽ばたいていった。例えばアテネ五輪の大久保嘉人は、パラグアイ戦、ガーナ戦のゴールで、スペイン1部マジョルカへの移籍の道を切り拓いた。

 また、敗北を突きつけられた大会後の選手たちも、捲土重来を期した。

「このままでは勝てない」

 北京五輪で惨敗した本田圭佑、長友佑都らは焦燥と向上心に駆り立てられ、その後の躍進につながった。

 一方で、奇跡的な勝利に酔い、流転を余儀なくされた選手もいる。燃え尽きたようにキャリアが下降線を辿る選手もいた。育成年代だけに、周囲の熱狂に我を失う危うさもあるのだ。

 五輪が生む栄光と流転とは......短期集中連載で、その実像に迫ることにした。

 誤解を恐れずに言えば、アトランタ五輪は「マイアミの奇跡」に集約される。リバウド、ロベルト・カルロス、ロナウド、ベベット、サビオ、ジュニーニョ、アウダイール、ジーダなど錚々たる面子で金メダルを獲りにきたブラジルを、1-0で撃破した大番狂わせだ。

 圧倒的に攻められていたし、ブラジルを崩し切った場面はない。しかし、必死に守った"ご褒美"か、あるいは天啓か。路木龍次のクロスに対して相手GKとDFが交錯し、こぼれたボールを伊東輝悦が押し込んだ。