2021.02.25

鮫島彩が語る10年前のなでしこW杯優勝。絆を深めた「恐怖」のミーティング

  • 取材・文・撮影●早草紀子 text&photo by Hayakusa Noriko

鮫島彩インタビュー(前編)

 どこに向かっていくのか想像もつかなかった未曾有の苦難----。

 東日本大震災が起きた2011年に日本人の心を明るく照らしたのが、なでしこジャパンのFIFA女子ワールドカップドイツ大会での優勝だった。その勝ち進み方は、苦しさのどん底から這い上がっていく日本の未来を示しているようでもあった。地元開催で、優勝に向けて万全の準備をしていたドイツを準々決勝で延長戦の末に撃破。その勢いのままヨーロッパの強国であるスウェーデンに快勝し、決勝では絶対女王アメリカとの死闘をPK戦で制するという、劇的なストーリーで世界一まで駆け上がっていった。

当時のなでしこジャパンを振り返った鮫島彩 あれから今年で10年----左サイドバックとして戦った鮫島彩に、あの激動の大会を振り返ってもらった。

「もう本当にすごいスピードで、何が何だかわからないうちに過ぎていった大会でした」

 鮫島のあの大会へかける想いは他の選手たちとはまた違う一面を持っていた。当時鮫島が所属していた東京電力女子サッカー部マリーゼは拠点が福島県だったため、被災の影響を受け活動休止になった。福島原子力発電所事故の影響で物理的にもサッカーができない状況に追い込まれたが、周りのスタッフの懸命の働きで、アメリカのボストン・ブレイカーズ(WPS)というプレーする場所が用意された。

「鮫島がサッカーができる環境を整える」。という周囲の想いを一身に受けて鮫島はアメリカへ。そしてほどなく迎えたのがワールドカップだった。

 こういった経緯を経てドイツへ乗り込んだ鮫島を待っていたのは、何にも代えがたいメンバーと見た世界一の景色だった。当時に想いを馳せる言葉と表情からは、ともに戦った選手たちへのリスペクトや感謝の思いがあふれ出す。

「みんなのことが本当に大好きなんです! 自分が犠牲になってもチームが勝てればいいという意識をみんなが持っていて、個人的にはもう(熊谷)紗希におんぶにだっこで、澤(穂希)さんや(阪口)夢穂に助けてもらって......。こんな私じゃチームに貢献できない、なんの役にもたっていない。もっとうまくなりたいっていうより、うまくならなきゃって、ずっと思っていました」