稲本潤一が語るドイツW杯。初戦のオーストラリア戦で裏目に出たこと (3ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • photo by Kyodo News

 ドイツW杯本番、日本は初戦でオーストラリアと対戦。中村のゴールで先制し、いい流れで試合を進めつつあった。

 しかし後半、オーストラリアの指揮官、フース・ヒディンク監督が策を仕掛ける。得点力のあるティム・ケーヒルを投入。さらに、高さのあるジョシュア・ケネディ、ジョン・アロイージを入れて、パワープレーで日本を押し込んだ。

 それに対抗して、日本は小野を投入。攻撃を活性化し、ボール保持率を高めようと試みた。だが、オーストラリアの強力なパワープレーの前に、日本は自陣にくぎ付け状態となり、後半39分、ケーヒルに同点ゴールを奪われた。猛烈な暑さのなか、そこで緊張の糸も切れてしまったのか、日本は立て続けに失点を重ねて、1-3で初戦を落とした。

2006年ドイツW杯初戦、日本はオーストラリアに逆転負けを喫した2006年ドイツW杯初戦、日本はオーストラリアに逆転負けを喫した ベンチで戦況を見つめていた稲本は色を失った。

「そりゃ、ショックですよ。今後の対戦相手を考えたら、絶対に勝たなあかん相手に、3点取られて逆転負けした。やられ方も衝撃的やった。

(試合を)見ていて、自分は正直、結果としては、交代が裏目に出たかなと思った。1-0で伸二を出したけど、それって(監督のメッセージとしては)『攻めて点を取りにいく』ということやと思うんです。でも、その選手交代の意図は、試合に出ている選手の考えとはズレがあった。また、ツネさん(宮本恒靖)ら後ろの選手と、ヒデさん(中田英)たち前の選手との間でも、意見の違いがあった。そこら辺が、初戦ではかみ合っていなかった」

 ジーコ監督が最も信頼していたのは、中田英であり、中村だった。海外でプレーするふたりは当然、日本でプレーする選手たちとは違ったサッカー観を持っていた。

 とりわけ中田英は、長く海外でプレーしてきた経験から、"国内組"と意見が食い違うこともあった。練習での姿勢はもちろん、プレスをかける位置など、戦術的なことについても、宮本や福西ら"国内組"と何度となく衝突した。

 無論、勝つためにどう戦うのかを真剣に考えるがゆえの意見交換である。それ自体は、決して悪いことではない。だが、生じた問題を、最後まで解決できぬままだった部分もあり、W杯に挑むにあたって、攻守のすべてがかみ合っていたわけではなかったのだ。

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