アテネ五輪代表メンバーから落選。その時、鈴木啓太は何を思ったか (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 選考メンバーには、複数のポジションをこなせる選手と、オーバーエイジ枠で小野伸二という絶対的な選手が名を連ねていた。

 鈴木がクラブハウスを出て、ひとりで駐車場に歩いていくと、後ろから馴染みの記者が追いかけてきた。鈴木が自動車のドアを開けて乗り込もうとしたら、その記者がそこで泣き崩れた。

「『泣きたいのはこっちだから』って思ったんですけどね(苦笑)。それから夜、母に電話で(落選を)報告した時、(母が)すごく励ましてくれたんですよ。明るい声だけど、泣いているのはわかって......。その時、そうやって応援してくれる人たちを悲しませて、『自分はなんて罪深いんだろう』って思った。こうなったのは、自分に実力がないからで、もっと力をつけて、(どんな監督にも)絶対に必要とされる選手になろうと思いました」

 どのチームでも、どんな指揮官にも、試合で起用される選手――そのためには、何が必要なのか。

 それが、アテネ五輪のメンバーから落選して以降、鈴木の大きなテーマになった。

 翻(ひるがえ)って、2004年アテネ五輪。日本は、初戦でパラグアイに3-4、2戦目もイタリアに2-3と敗れて、最終戦のガーナ戦に1-0と勝利したものの、グループ最下位に終わった。前回大会のシドニー五輪で日本が残したベスト8という結果を越えることはできなかった。

 しかしそのアテネ世代が、それから6年後の2010年南アフリカW杯において、真価を発揮した。松井大輔、大久保嘉人、阿部勇樹らが海外で経験を積み、さらに闘莉王、駒野友一、今野泰幸らも成長し、日本代表の中軸を担うようになっていたのだ。

 同代表は、初戦のカメルーン戦に勝って勢いに乗り、2002年大会以来となるベスト16入りという結果を残した。鈴木は、同じアテネ世代の面々がW杯で活躍する姿を見て、「もう"谷間の世代"とか言わせねぇぞ」と思ったという。

「僕はアテネ五輪には行けなかったけど、その代表チームがグループリーグを突破できなくて、『だから"谷間の世代"なんだよ』って言われたことが本当に悔しかった。

 でもその後、みんなクラブの"顔"としてプレーしていたし、南アフリカW杯でアテネ世代が中心となって戦って、結果を出した。『もう"谷間"じゃない。自分ら世代も結果を出しているだろ』って、胸を張って言えるようになりました。結構、時間がかかったけどね(苦笑)」

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