2019.10.07

独特な戦術「フラット3」を駆使。
手島和希は世界大会で何を感じたか

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 説田浩之●撮影 photo by Setsuda Hiroyuki

世界2位の快挙から20年……
今だから語る「黄金世代」の実態
第15回:手島和希(前編)

ワールドユースでの戦いを振り返る手島和希 1999年ワールドユース(現U-20W杯)・ナイジェリア大会、U-20日本代表の初戦の相手はカメルーンだった。

 その試合前日を迎えても、DFの手島和希は、フィリップ・トルシエ監督が志向するDFシステムである”フラット3”に対して、確かな手応えを得ているわけではなかった。だが、不思議と不安になることはなかったという。

「”フラット3”については、まだどれくらい大会で機能するか未知数でした。でも、手応えを感じているよりは、少しうまくいっていないぐらいのほうが、大会に入ってからよくなる傾向があるな、と思っていたんです」

 手島がそう思えたのは、”フラット3”習得のために、ひとつの山を越えた感もあったからだ。

 トルシエ監督がA代表との兼任でU-20代表の指揮官となったのは、1999年1月。その後、2月のブルキナファソ遠征で”フラット3”を本格的に導入した。

 手島にとって、その独特なシステムは未知なものであり、トルシエ監督という存在も、これまでに出会ったことのないタイプの指揮官だった。

「(トルシエ監督がチームを率いるようになって)最初はびっくりしました。猛烈な勢いで叫んで、激しい身振り手振りで、指導していましたから。それはそれで新しいやり方というか、おそらく日本人のおとなしいメンタリティを見て、わざと大げさにやっていた部分があるかもしれないですけどね」

 また、それ以上に新鮮で、驚きだったのが、”フラット3”の練習方法だった。

 トルシエ監督のボール保持の状況で上げたり下げたり、そんなラインを上下する練習がトレーニング全体の多くを占めていて、手島にしてみれば、「ラインコントロールが練習の大半を占めていた」という感覚だったという。

“フラット3”にはブルキナファソ遠征から本格的に取り組んだが、当初その中心選手となっていた金古聖司が同遠征の最後の試合で故障。大会直前のフランス合宿から急きょ、中田浩二、辻本茂輝と組むことになった。

「ボールの状況によって常にラインを動かすというのは、それまでに経験したことがなかった。それを3人の呼吸を合わせて上下しないといけない。ギャップができると、トルシエ監督からすごく怒鳴られました。3人それぞれの判断をあわせることが難しかったですね」