世界2位の快挙から20年。酒井友之は「新・黄金世代」を育てたい (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

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 何が酒井をここまで現役へと駆り立てたのだろうか。

「ケガして、そのまま引退するのが嫌だったんです。まだ、30歳過ぎでやれると思っていたし、ワールドユースで準優勝した仲間が元気にプレーしていたから、先に引退したくないという思いが強かったですね」

 酒井にとっては、この東南アジアでのプレーが、初めての海外移籍になった。

「最初、五輪とか代表に入った選手が、何でインドネシアに来てサッカーやっているんだって言われたんですよ。僕はただ現役を続けたい思いだけで行ったんですが、インドネシアの選手からすると日本はW杯常連国で強い印象しかないですからね。実際、プレーしてみるとサッカーの環境や住環境とか含めて、日本の当たり前が向こうでは当たり前じゃないし、しかも適当なことが多くてそれはもうストレスでしかなかったです。でも、そういう違いが、最終的に自分にとってワールドユースの準優勝と同じぐらいいい経験になったし、自分の強みになりました」

 酒井は、インドネシアで3年間プレーした後、2013年8月に現役を引退した。

 すぐに浦和のハートフルクラブでスクールのコーチを始め、幼稚園や小学校のスクールを4年半ほど経験した後、2017年からジュニアチームのコーチを始めた。

「僕はジェフのジュニアユース育ちですし、スクールを4年半やっているうちに育成に興味が出てきたんです。今はアカデミーセンターでジュニアユース(U-15)のコーチをしています。まずは育成で経験を積んで、いずれ東南アジアとかクラブ提携しているところで育成年代を指導してみたいなという気持ちもあります。同世代の仲間も指導者になっているのが多いですね。昨年、ツジ(辻本茂輝)と会ったんですが、あいつは早く引退したけど、その分コーチとしての経験をたくさん積んでいる。今回、ティアモ枚方の監督になったし、『いい経験がたくさんできてうらやましいよ』っていう話をしました」

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