「嫌でしたよ」。黄金世代・酒井友之が
語るトルシエ戦術とコンバート (2ページ目)
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だが、99年1月にトルシエが監督になるとチームが一変した。
システムが4-4-2から3-5-2になり、ポジションがほぼシャッフルされたのだ。中田浩二は左センターバックになり、本山雅志は左のアウトサイドに置かれた。そして、酒井がトルシエ監督から言い渡されたのは、右のアウトサイドだった。
酒井は3-5-2の右アウトサイドを務めた photo by Yanagawa Go「もう最初からアウトサイドでした。そりゃ、嫌でしたよ。チームでも代表でもボランチとして試合に出ていたし、やれる自信もあったんで」
フラット3の守備は、多くの練習時間を費やして徹底された。
トルシエ監督がボールを持ち、自分の動きに対応して守備のラインを上下させ、その動きを何度も行ない、体に染みこませていった。
「監督がボールを持って、僕らに背を向けたらラインを上げて、前を向いたら少し引いてやられないようにする。そのラインの上下を全員の呼吸を合わせてやるんですが、ちょっとでもズレるとめちゃ怒られるんですよ。攻守において中盤をコンパクトにしてプレーすることを、練習の中で意識づけされましたね」
トルシエ監督は、大胆にコンバートを行ない、選手ごとにそれぞれの要求をした。右アウトサイドの酒井に対しては、左のアウトサイドの本山雅志とは異なり、守備面での要求が多かったという。
「左の本山が攻撃的なのでちょっと上がりめなんですよ。それで遠藤が左にズレた中盤のスペースをカバーするのに僕が絞ったり、攻撃から守備に切り替わった時、後ろのフラット3に自分が入って4バックになったり。そういうディフェンスでのバランスをすごく求められました」
酒井の守備能力を見抜き、アウトサイドに置いてチームに活かしたのは、トルシエ監督の眼力のすごさであろう。ただ、トルシエ監督は守備での貢献はもちろん、攻撃でも酒井に積極的にかかわるように指示した。
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