石川竜也は思う。「10年後、
Jリーグ監督は黄金世代だらけになる」
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世界2位の快挙から20年......
今だから語る「黄金世代」の実態
第12回:石川竜也(後編)
1999年、ナイジェリアワールドユース(現U-20W杯)の決勝、スペインとの試合を、石川竜也は非常に楽しみにしていた。
「僕らは、決勝まで試合をこなしながら『やれる』という自信をつけてきた。スペインが強いのはわかっていたけど、勝って優勝しようという気持ちがすごく強かったし、勝てると思っていた。でも......スペインはレベルが違いましたね」
日本は、結果的に0-4で大敗を喫してしまう。
石川は、先制点を失った時間と失い方が「日本にとって大きなダメージになった」と言う。
「失点は開始早々(5分)で、FKからやられた。壁になった選手がジャンプして、その下を通された。壁の選手がジャンプする練習をしていなかったら、下を通されて先制点を失うことはなかったかもしれないので、運もなかったですね。しかも(小野)伸二がいなかった。伸二がいたら、あそこまで点差は開かなかったと思います。やっぱり、伸二がいるかいないかでチームはだいぶ変わる。それでも、僕はいい勝負ができると思っていたんですが、0-4というスコアには驚きました。まだ世界とは大きな差があると思いました」
結局、この大会で石川は全7試合中5試合に出場した。
イングランド戦ではFKから決勝ゴールを決め、チームをグループリーグ突破に導いた。これまでプレーしてきた左サイドバックではなく、左のウィングバックとしてのプレーだったが堅い守備を評価され、クローザーとして投入された。
ワールドユースではクローザーとして奮闘した石川竜也(中央)photo by Yanagawa Go 石川は、どんな手応えを感じていたのだろうか。
「決勝に出場できなかったので、スペインとの違いを肌で感じることはできなかった。でも、5試合に出場して、センタリングとかフィードは通用すると思いました。守備では、ウルグアイの選手は点を取りにくる時のパワーがすごくて、1対1の対応で苦労しました。個の対応に課題を感じたし、今後伸ばしていかないといけない部分だなと感じました」
ナイジェリアから帰国すると、石川以外の17名の選手はそれぞれのチームに戻った。Jリーグの舞台に戻り、シドニー五輪に向けて動き出したのだ。
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