黄金世代・石川竜也は小野伸二のひと言で貴重なゴールを決めた
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世界2位の快挙から20年......
今だから語る「黄金世代」の実態
第12回:石川竜也(前編)
1999年3月15日、ナイジェリアワールドユース(現U-20W杯)本大会のメンバー発表の日。
そのメンバーリスト18名の中に石川竜也の名前はなかった。
「事前のブルキナファソ合宿であまり試合に出られていなかったので、当落線上か入れない可能性が高いなと思っていました。どちらでもその決定を受け入れる気持ちでいましたけど、名前がなかったのはやっぱり悔しかったですね」
1999年ワールドユースについて振り返る石川竜也 しかしその後、市川大祐が出場できなくなり、急遽、石川が招集された。
「僕が呼ばれた一番最後の選手でした。当時は学生だったし、失うものは何もなかった。自分の役割がどうか考えることはなかったですね。みんな、同世代だけど経験と個性があってレベルの高い選手が揃っていたので、僕がどうということより、みんなに引っ張っていってもらう感じでした」
18番目の選手としてチームに合流した石川は、左サイドバックが本職であるが、トルシエが採用した「フラット3」の戦術下では左のウィングバックになった。そのポジションのレギュラーには、本山雅志が鎮座していた。キレキレのドリブルで仕掛ける本山は日本の攻撃のキーマンとなっており、欠かせない選手だった。そのため、石川は試合途中にクローザーとして投入されることが多かった。
実際、グループリーグ2戦目のアメリカ戦は2-1で勝っている状況で、後半39分に本山に代わって出場した。3戦目のイングランド戦では、永井雄一郎の不調により、前半31分に投入された。
この試合で、石川はチームを救う大仕事をやってのけた。
前半39分、日本の右サイドで日本にFKが与えられた。石川がポイントに行くと小野伸二と小笠原満男がいたが、位置と距離から判断して、小野が「イシ君、蹴ったら」と提案してきた。石川は小野の提案にうなずいた。決める自信があったのだ。ピッチの一部の照明が落ち、異様なムードの中、石川は呼吸を整えた。
「間接FKで直接蹴れないので、(パスの直後にイングランドの)壁の選手が前に勢いよく出てくる。相手選手に当てないように蹴ろうと思っていました。ピッチの一部の照明が落ちていてGKが見えにくかったと思うんです。それでGKの反応が少し遅れて、しかもボールがうまく抜けていった。決めることができてよかったです」
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