自分のことしか考えていなかった「黄金世代」のGK、20年後の本音 (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

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 それ以降、いろんな嫌なこと、理不尽なことがあると、『この気持ち、ワールドユースの時と同じだな』と思って、それなりに受け止めることができるようになった。ワールドユースのあと、さまざまな経験をしていくことで、僕も少しは成長できた。あのまま『試合に出られないのは、監督のせいだ』という見方しかできなければ、僕はもっと早くに(選手生活が)終わっていたと思います」

 ワールドユース後、榎本は所属する横浜F・マリノスに戻って、日々鍛錬を重ねた。2001年、川口がポーツマス(イングランド)に移籍すると、レギュラーの座を射止めた。ただ、ワールドユースの時と変わらず、同じGKに対するメラメラした思いというのは、消えることはなかった。

 すると、そうしたギラギラとした気持ちが裏目に出てしまい、取り返しのつかない出来事を起こしてしまう。

 2006年、榎本はその前のシーズンから徐々に出場機会を減らしていた。それでも、真面目に練習に取り組んでいたが、ある日、ふとそんな自分に嫌気がさしてしまったという。そして、練習中にもかかわらず、水沼貴史監督(当時)の引き止めさえも無視して帰宅してしまったのだ。

 その時、すぐに電話をかけてきてくれたのが、(当時の)チームメイトである清水範久だった。

「おまえ、絶対に謝れ。経緯はどうであれ、監督と選手なんだ。おまえは干されるかもしれないけど、謝ればそれで(この件は)おしまいになるから、(水沼監督に)謝ってこい」

 清水にそう言われた榎本は翌日、水沼監督のもとに謝罪にいった。

 監督の言葉を無視して帰宅してしまったのだ。すぐにすべてを水に流して......とはいかなかった。第2GKの座もなくなり、出場機会は完全に失われた。

 そんな時にも「気にするな。普通に練習していろ」と声をかけてきてくれたのが、清水だった。榎本には、その清水の心遣いが身に沁みた。

「ありがたかったですね。ジローさん(清水の愛称)だけがそう言ってくれた。プロとしてどうあるべきか、あらためて考えさせられました」

 榎本は自らの言動によって干されたが、そこで自分の甘さを自覚し、サッカー選手としてすべきことをする、という当たり前のことに気づいた。

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