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世界2位になった第2GKの告白
「勝っても負けてもどうでもよかった」

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

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世界2位の快挙から20年......
今だから語る「黄金世代」の実態
第11回:榎本達也(前編)

「行きたくありません。(代表は)辞退させてください」

 1999年ワールドユース(現U-20W杯)・ナイジェリア大会に挑むU-20日本代表のメンバーに選出された時、榎本達也は所属クラブの担当者にそう言った。

 この大会への出場を熱望しながら、ケガや予防接種を受けていないなどの理由でメンバー入りできなかった選手が多数いる一方で、榎本の気持ちはワールドユースにはまったく向いていなかった。

「今思えば、自分勝手な考えですし、甘かったなと思います。でも、その時は『行きたい』と思えなかったんです」

 もちろん、榎本がそう思ったことには理由がある――。

1999年ワールドユースについて語る榎本達也1999年ワールドユースについて語る榎本達也 ワールドユースの出場権を獲得した前年のアジア予選において、1次、最終予選ともに榎本が正GKを務めていた。

「僕は(年代別でも)初めての代表だったんですが、みんな『アジアユースを勝つのは当たり前』と思っていて、その先を見ている選手が多かった。とにかく、上へ、上へと追求している選手が多いのが印象的でした。(小野)伸二とか、個性の塊のようなメンバーばかりで、個々の能力が非常に高くて、試合をしていてもすごく楽しかったです」

 日本は最終予選を勝ち抜いてワールドユースの出場権を獲得した。しかし、決勝の韓国戦は1-2で敗れた。日本に対して目の色を変え、泥臭くハードな戦いを見せる韓国から、榎本は得体の知れない強烈な"圧"を感じたという。

「韓国は日本に対しては、死に物狂いで向かってきた。李東国(イ・ドングク)をはじめ、韓国はいい選手がいたんですが、自分たちもそれに負けないぐらいのメンバーがそろっていた。それだけに、『このメンバーでも勝てないのか......』と茫然としました。

 日本(の選手)はまだ、Jリーグで試合に出ている選手が少なかったし、追い込まれたなかでの実戦経験が乏しかった。僕も、韓国の選手がそれまで(に体験してきたもの)とは違ったレンジからシュートを打ってきたりして、そういう経験をしてないことを痛感させられた。『(自分は)まだまだ足りないな』と思ったけど、そう思えたことがすごく大きな収穫になった。それで、ワールドユースで『もっと勝負したい』『もっとうまくなりたい』という気持ちが大きくなっていったんです」

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