2019.05.29

播戸竜二の誇り。「黄金世代が
日本サッカー界を引っ張っていく」

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

世界2位の快挙から20年……
今だから語る「黄金世代」の実態
第7回:播戸竜二(3)

「黄金世代」について語る播戸竜二 1999年ワールドユース(現U-20W杯)・ナイジェリア大会で準優勝となったU-20日本代表。A代表と兼任で同チームの指揮官を務めたフィリップ・トルシエ監督は、そのままシドニー五輪出場を目指す代表チームも指揮することとなった。そして、ワールドユースから1カ月後、そのチームが始動した。

 しかし、そこに播戸竜二の名前はなかった。

 ワールドユース後、所属のガンバ大阪でもスタメンで出場することがほとんどなく、同シーズンが終了後、播戸は大きな決断を下した。

「(ワールドユースのあと)2000年シドニー五輪から2002年日韓W杯へと続く流れのなかで、(ワールドユースで一緒に戦った)みんなに追いつくには『このままじゃあ、いかん』『スタメンで試合に出て、点を取らなあかん』と思って、1999年シーズンが終了後、ガンバから出て、(J2の)コンサドーレ札幌に行くことを決めた。

 シドニー五輪を前にして『J2に行ったら(代表)メンバーに選ばれへんぞ』って(周囲からは)言われたけど、俺は五輪に出るためにサッカーをしているわけじゃないからね。将来、もう一度、(小野)伸二たちとサッカーをするためには、『自分はもっと成長せなあかん』と。そして、自分が成長するためには移籍するしかなかった」

 札幌では岡田武史監督のもと、2000年シーズンは30試合出場15得点と結果を残し、チームのJ1昇格に貢献した。さらに、J1の舞台に戻ってプレーした2001年も27試合9得点と、まずまずの成績を残した。だが、日本代表の壁は厚く、2002年日韓W杯を戦う日本代表に選出されることはなかった。

「2002年W杯には、伸二、イナ(稲本潤一)、(小笠原)満男、(中田)浩二らが試合に出ていたけど、(その姿を見て)嫉妬とかはなかった。俺らの世代の代表として『がんばってくれ!』って応援していた。

 でも次(2006年ドイツW杯)は、俺も伸二たちと『一緒にサッカーをやりたい』って思った。代表に入るためにはどうしたらいいのか、(その当時は)めっちゃ考えたね」

 その結論として2002年、播戸はヴィッセル神戸への移籍を決めた。