播戸竜二の誇り。「黄金世代が日本サッカー界を引っ張っていく」 (2ページ目)
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「もっと成長したいと思ったからね。それに(当時の)神戸にはカズさん(三浦知良)がおった。カズさんからサッカーを学びたいと思って移籍して、2004年シーズンには17ゴールを取ることができた。
それで、自分なりにも(代表でやれる)自信があったし、『そろそろ代表にも呼ばれるかな』って思っていたんだけど、2005年にケガをして......。2006年には(古巣の)ガンバに戻ったけど、(シーズン序盤は)スタメン出場が少なくて、ドイツW杯には出られへんかった。同世代がたくさん代表メンバーにおったから、あの時は一緒にプレーができん悔しさがあったね」
播戸はその悔しさを胸に秘めて、所属チームで地道な努力を続けた。その結果、シーズン後半に6試合連続ゴールを決めるなどの活躍を見せ、2006年シーズンは最終的に30試合出場16得点という好結果を残した。
ドイツW杯後、日本代表の指揮官となったイビツァ・オシム監督にその活躍を認められて、ついに播戸は初のA代表入りを果たした。2006年10月4日のガーナ戦で初出場し、2007年アジアカップ予選(2006年10月11日)のインド戦で初スタメン初ゴールを決めた。
「オシムさんが監督になって、初めて代表に呼ばれた時はうれしかった。『やっと来たわ。これでまた、みんなと一緒にサッカーができる』と思った。
でもそうしたら、チームには(同世代が)ヤット(遠藤保仁)と加地(亮)、そしてタカ(高原直泰)しかおらんかった。(当時)俺らは27歳ぐらいだったから、まだまだイケる年齢やん。それなのに『なんで、伸二とかおらんねん』って思ったし、ちょっとショックやったね」
播戸は、不思議なほど同世代を強烈に意識し、同世代の仲間と一緒にサッカーをすることにこだわり、常にそれを大きな目標としてきた。
播戸にとって、同世代とはどういった存在なのだろうか。
「特別な存在やと思うし、見えない"絆"があるよね。プロになる前からお互いに切磋琢磨してきたんで、口で言わずとも(お互いに)考えていることがわかる。しかも、19歳、20歳の時にナイジェリアとかに行って、長い時間を一緒に過ごしたことは、一生消えへんからね。
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