東京五輪代表に残るのは誰か。森保ジャパンのサバイバルが始まった (3ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi
  • photo by Getty Images

 つまり、まずは2チームを結成し、できるだけ多くの選手を手もとで確認し、アプローチするという手法を選んだわけだ。指揮官は言う。

「この年代の選手をより広く、ラージグループとして捉えながら、選手を見させていただき、最終的にコアな部分を作っていきたい」

 こうしてM−150カップには代表経験が少なく、一緒にプレーした経験も少ない選手で臨むことになったが、準備期間はほとんどなかった。

 12月6日に千葉県内に集合して練習を行ない、指揮官がサンフレッチェ広島時代に採用した3−4−2−1同士で紅白戦を行なった。7日はタイへ移動し、調整メニュー。8日は試合前日だったが、「やりたいことがたくさんある」と指揮官は2部練習を敢行し、3−4−2−1のエッセンスをさらに落とし込むと、午後練習では4バックにもトライした。

 その成果は、タイ戦でたしかに見て取れた。

 5−4−1のコンパクトな守備ブロックを披露。「試合前に(神谷)優太から『ラインを高くしてほしい』と言われていたので、それをやろうと思っていた」と、ディフェンスリーダーの庄司が明かしたように、センターサークル付近まで最終ラインを押し上げ、高い位置でボールを奪ってショートカウンターを繰り出す狙いは見えた。

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