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カズとW杯メンバー落選。
「衝撃の通告」をめぐる真実を北澤豪が激白 (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

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 怒りを抑えて、北澤はひとつだけ、岡田監督に確認した。

「俺のポジションがなくなったわけですよね。じゃあ、4-4-2はやらないってことですね」

「そうだ」

 岡田監督はそう言い切った。

 北澤が日本代表に復帰して以来、チームは4-4-2で戦ってきた。中盤をひし形にするシステムで最終予選を突破し、W杯に向けてその完成度はさらに高まっていった。だが、1998年5月、フランスW杯に向けての大枠のメンバー25名が決まり、合宿に入ると岡田監督は3バックを採用した。

 キリンカップでは、パラグアイ戦(1-1)、チェコ戦(0-0)の2試合とも3バックを試し、4バックは練習中の紅白戦のみに限定されていた。そして、W杯のメンバー発表前に非公式に行なわれた練習試合、メキシコ戦(1-2)も3バックで戦った。

「いきなり3バックに舵を切ったけど、キリンカップの2試合は今ひとつの出来だった。紅白戦でやっていた4-2-2のほうがうまくいっていて、俺はそのうち4バックに戻るだろうなって感覚があったし、チームの中にも『4バックがいい』という声があった。

 ただ、メキシコ戦は3バックで流れるような攻撃ができていたし、1対1でしっかり守れていた。とびきりいい内容じゃなかったけど、この3試合の結果とW杯の対戦国との力関係を考えて、(岡田監督は)ゾーンで守るよりもマンツーマンにして、3バックだけど、5バックで守れるように、という決断をしたんじゃないかな。3試合とも3バックでやったので、岡田さん『(3バックに)こだわってるなぁ』って思ったもん」

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