「国内組」福西と「海外組」ヒデの衝突によって、日本代表が得たもの (3ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 格下相手の1次予選でも、それで大苦戦した。

 それでも、ジーコ監督は海外組偏重主義を貫いた。中田と福西が"衝突"し、意思統一が図れないままイラン戦を戦うことになったのも、そうした影響があったのだ。

「海外組の選手は実力も能力もあるんで、それは生かすべきだと思う。でも、彼らの考えだけでやると、国内合宿やアジアカップで優勝するなどして組み立ててきたベースが変わってしまうし、後ろの選手と海外組の選手との溝が広がってしまう。

 あのとき(最終予選になって)、俺はイナの代わりに出ていたけど、イナがレギュラーだったときは、(国内組の選手だけで)海外組の話をよくしていた。『どうせ、次(の試合)は海外組が出るんでしょ』って。だからこそ、アジアカップでは国内組中心のチームで、『結果を出そうぜ!』って一致団結してやれた。心の中では、『なにくそ』って思ってやっていたよ」

 バーレーン戦、福西は中田のために自分を抑えたと言う。小野と組んだイラン戦でも、「シンジの攻撃力を生かすために、左はどんどん上がってもいい」と(小野に)言って、自らは黒子となって守備重視でプレーした。チームのために自己犠牲をいとわず、相棒を立てた。

 一方、所属のジュビロ磐田では、その真逆の姿を見せていた。積極的に攻撃にも参加し、アグレッシブにプレーしていた。

 そのギャップは、なぜ生まれたのだろうか。

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