2017.08.27

「国内組」福西と「海外組」ヒデの
衝突によって、日本代表が得たもの

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第1回
「喧嘩」と報道された中田英寿との衝突~福西崇史(3)

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福西崇史(ふくにし・たかし)。1976年9月1日生まれ、愛媛県出身。ジュビロ磐田「黄金期」の主力メンバー。日本代表でも活躍。国際Aマッチ出場64試合、7得点。サッカー解説者。

 2006年ドイツW杯のアジア最終予選。日本はホームで行なわれた初戦の北朝鮮戦を2-1で競り勝つも、続く2戦目、アウェーのイラン戦は1-2で落とした。

 敗因のひとつは、突然のシステム変更にある。ジーコ監督は、それまで3バックで結果を出してきたにもかかわらず、イラン戦では4バックを採用した。試合3日前の練習中には、守備のやり方を巡って中田英寿と福西崇史が言い争いになり、チーム内は混乱した。そんな状況にあっては、好結果を望むべくもなかった。

 イラン戦の結果に、最も危機感を覚えたのは選手たちだった。自分たちのやり方で戦いたい――そうした意識が高まって、バーレーン戦では3バックに戻すことになった。

 今まで結果を出してきた自信のあるシステムであり、選手たちも気持ちを整理して試合に臨める。4バックのように、あれこれ迷うことがないのは何より大きかった。

 しかし、大きな問題がひとつ、持ち上がった。

 チームの攻撃の軸は中村俊輔だった。3バックでは、2トップでトップ下には中村が入る。通常であれば、その後ろに2枚のボランチが配置される。すると、中田のポジションがなくなってしまうのだ。

 ただし、バーレーン戦はイラン戦で福西とコンビを組んだ小野伸二が出場停止になっていた。

 このとき、福西の頭の中ではいろいろな考えが巡っていた。「いったい、誰が(もう1枚の)ボランチに入るのか」あるいは「中盤の選手の配置を変えるのか」と。