ヒデと福西の言い合いが象徴する混乱。「ジーコは何も言わなかった」 (3ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 無論、ジーコ監督が「選手の自主性の尊重」をポリシーとしていたからでもある。ただそれは、傍から見れば"放置"といった状況にも見えなくはなかった。

「選手が方向性を見つけられず、迷っているなかで、誰がチームを導くのかというと、監督じゃないですか。監督が『こうだ』と示してくれれば、(選手たちも)『じゃあ、こうしよう』と落としどころを考えていけるようになる。

 でも、ジーコは何も言わなかった。それが、まとまらなかったひとつの要因ではあると思いますが、俺たちも自分たちで『こうしよう』と決めることができなかった。その結果、みんなが悩みを抱えたまま、イラン戦を迎えることになってしまった」

 迎えたイラン戦、選手たちの緊張感と不安は察するに余りある。

 急場しのぎの4バックに変更され、守備のやり方も定まらない。イランの攻撃陣は相当な迫力があるにもかかわらず、どう対処すべきか、チームとして整理できないまま試合に臨んだのである。

「全体的な意思統一は図れていませんでしたけど、(選手個々が)それぞれの考えは理解していた。それは、大きかったと思う。

 例えば、『喧嘩』って言われたシーンで、俺はヒデにしっかり自分の考えを伝えていた。だから、ボールがサイドに入ったとき、俺がいかなくても、ヒデが『なんで、あいつは出てこないんだよ』って怒ることはなかった。(自分も)ヒデが前に出てきてほしいんだろうなって思ったときは、後ろの人数を見て(足りていれば)前に出ていった。それは、相手の考えを聞いているからできることだし、試合の中で合わせていけばいいと思っていた」

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