7月3日。「中田英寿の引退から10年」でフランスの空に想う (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki  photo by AFLO

 18年ぶり3度目の快挙に大きく貢献した中田英。その株は、これで一気に上昇。10億円でも買い手がつかない状況からまさに一転、30億円超で翌シーズン、パルマに移籍することになった。

 昨季、レスター・シティの一員としてプレミアリーグ優勝に貢献した岡崎慎司が話題を集めたが、15年前のローマ優勝時における中田英は、その比ではなかった。「NAKATA」の知名度は、国内レベルを超えた欧州全土的な広がりをみせた。そうした意味で、現在の「HONDA」をも上回っていた。

 このとき、CLの舞台に立ったことのある日本人はひとりもいなかった。2001-02シーズン、パルマに移籍した中田英をCLの予備予選の段階から追いかけた理由は、日本人初のチャンピオンズリーガー誕生の瞬間を、この目で見たかったからだ(※前身のチャンピオンズカップには奥寺康彦が出場している)。

 このシーズンから小野伸二、稲本潤一も欧州に渡っていた。前者所属のフェイエノールト、後者所属のアーセナルともに、本選にストレートインする権利を持っていたが、中田英のようにスタメンを確保していたわけではなかった。

 日本人初のチャンピオンズリーガーは誰か――は、そのときもっとも訴求力のあるテーマだった。本命・中田英は、しかしリール相手に大苦戦を強いられた。パルマホームの初戦を、なんと0-2で折り返してしまう。そして、リールでの第2戦も1-0。通算スコア1-2で、パルマはリールの軍門に下った。

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