新代表監督と交渉中!霜田正浩技術委員長はこんな人 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 長田洋平/アフロスポーツ●写真

 2001年に入ったFC東京の強化部では、ブラジルでのプレイ時代に習得したポルトガル語を駆使し、ケリー、ジャーン、ルーカスなど外国人選手の獲得に成功した。

「日本は金になる」と、ジャパンマネーを狙って吹っかけてくるエージェントと真っ向からやり合い、選手の実力とキャラクターを見極め、その実績を重ねていった。仮契約していた選手に一方的に契約を反故(ほご)にされるなど失敗もあったが、そこで得た教訓は交渉人としての彼をよりタフにした。契約した選手のコストパフォーマンスは、歴代外国人Jリーガーの中でも屈指だろう。

 当時、FC東京を監督として率いていた原氏は、そのスカウティング能力や人脈の豊富さを目の当たりにしていた。語学力以上に、交渉における腰の強さがあり、さらに人を心から信用させる力があった。それは誠実さと言い換えてもいいだろう。

 ザッケローニが監督をしていた頃の話だ。霜田氏には試合前に"儀式"があった。ウォーミングアップで選手が引き払った後のロッカールーム。ザッケローニの隣に寄り添い、その日の戦略を聞いたという。訊かれない限り、霜田氏は一切意見しない。聞き役に徹するのだ。

「役立っていたか分からないけど、少しでも気が紛れるならね。監督は気が触れそうなプレッシャーの中にいるものだから。技術委員の立場としては、常に監督が不振になったときの危機管理をする必要がある。でも人間同士、自然と不信感は伝わる。まずは"100%信頼しているよ"と気持ちを伝えたかったし、そういう環境で仕事をして欲しかった」

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