豊田陽平は代表「落選」という事実をどう受け止めたのか (4ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by AFLO

「大久保さんは、“すごいな、持っているな”という印象です」と彼は畏敬の念を込めた。

「普通はあれだけ結果を残しながら(代表に)選ばれなかったら、どっかで心が折れてしまう。それでもやり続けていましたから。客観的に見て、“チームという環境が変わるとこれだけ人が変わるのか”というのも驚きでした。(ヴィッセル)神戸時代の大久保さんは、“上手いけど荒い”という選手で、爆発力はすごかったけど、安定感はありませんでしたから。

 川崎(フロンターレ)に行ってからは、チームの戦術やサポートもあるんだろうけど、得点力が目に見えて上がりました。“ここまでゴールが取れる選手だったんだ”と人ごとながら、勉強になりました。大久保さんは同じFWの目線で見ても、いつもゴールが取れるポジションにいる選手。ゴールを決めることで仲間に信頼感を与え、好循環になっていましたね。なにより、あの状況でメンタルを維持できたのはすごい」

 それは豊田が大久保と熾烈な争いをしたからこその共感だった。

 5月24日、佐賀県陸上競技場。豊田は3歳になる一人息子と、スタンドに陣取って試合を観戦していた。W杯予備登録メンバー30人は、レギュレーションによりこの日のナビスコカップは出場が不可能。彼はピッチに立つ選手たちを、心の底から応援した。そしてサブ組選手のメンバーは会心の勝利だった。彼は祝福したい気持ちになり、真っ先にピッチへと降りた。

 しかしトラックを練り歩き、サポーターの声援を受ける姿を目の当たりにしながら、無性に嫉妬を覚えたのだった。

<やっぱり、自分はピッチに立っていたい!>

 その純粋な衝動に彼は行き着いた。驚きもしたが、素直に嬉しくもなった。その原点的衝動が続く限り、彼の闘争は終わらない。

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