北澤豪が初告白「20年前のドーハで
受け取った御守りの行方」

  • 渡辺達也●文 text&photo by Watanabe Tatsuya

悲劇の舞台裏で起きた
知られざる「真実」――北澤豪編(2)

今から20年前、1993年10月に行なわれたアメリカW杯アジア最終予選。第4戦の宿敵・韓国戦では、累積警告の森保一に代わって出場した北澤豪が奮闘。攻守にわたって活躍し、チームの勝利に貢献した。そして迎えた"運命"のイラク戦。あのとき、北澤は何を思ったのか――。
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ピッチで戦っているみんなと
一緒に動いていないといられなかった

 迎えたイラク戦。北澤豪(ヴェルディ川崎/現解説者)はベンチから戦況を見つめていた。もちろん、いつでもピッチに向かう準備は整えていた。攻撃の要であるMFのラモス瑠偉(ヴェルディ/現ビーチサッカー日本代表監督)が4試合にフル出場し、明らかに疲れが溜まっていたからだ。ラモスが動けなくなれば、自分の出番が来ると思っていた。

20年前の「ドーハの悲劇」について語る北澤豪。20年前の「ドーハの悲劇」について語る北澤豪。 予想どおり、日本は1-0で前半を折り返すも、後半はイラクの猛攻にあった。1点返されて、再び勝ち越しゴールを決めたものの、中盤を支配できず、苦しい時間帯が続いた。そして、ラモスはベンチに向かって叫んだ。

「キーちゃんを(ピッチに)入れてくれ」

 その言葉を聞いて、北澤はアップのピッチを上げた。

「間違いなく、オレの出番だと思っていた。ラモスさんも言っていたし......。サッカーの流れを考えても、自分だと思っていたけど......」

 結局、指揮官のオフトは2枚しかない交代枠を北澤にあてることはなかった。ピッチ上の選手たちの願いは無視され、北澤の準備は無駄に終わったのだ。

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