検索

【プロ野球】篠塚和典が語る1980年代の巨人を支えた"意外性の男" 野村克也、長嶋茂雄も高く評価した名キャッチャー (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Tetsuo Hamada

――長嶋茂雄さんは山倉さんに対して、「キャッチャーとしての風格がある」と評価されていました。

篠塚 キャッチングやブロッキング、スローイングなど、キャッチャーとしての能力は、ある程度センスが求められると思います。キャッチャーとしての長嶋さんなりのイメージがあって、そういうふうに感じていたんじゃないですか。

――当時の巨人は、山倉さんをはじめレギュラーがある程度固定されていました。選手側から、キャッチャーが固定されていることをどう感じていましたか?

篠塚 僕らの現役時代は、今みたいに日替わりでいろいろな選手が試合に出ることはほとんどありませんでした。外国人選手の入れ替えなどはありましたが、内野もある程度メンバーを固定してやっていましたから。

 毎試合ピッチャーが変わっていくなかで、「今日はキャッチャーを誰にしようか」となると、チーム全体のバランスが整わなくなってしまいます。キャッチャーが決まっていれば、監督やコーチとしても、毎日のようにいろいろ頭を悩ませる必要もないですからね。

 特にキャッチャーは、試合を作っていくポジション。試合が始まればキャッチャーが監督みたいな感覚でしたし、そういう意味でもしっかりしたキャッチャーがいてくれることは大きかったです。山倉さんは僕ら80年代の巨人にとって、エースである江川さんとのバッテリーを含め、守備の要となる存在でした。

【プロフィール】

■篠塚和典(しのづか・かずのり)

1957年7月16日生まれ、東京都出身、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年を最後に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と1軍打撃コーチ、1軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。

著者プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

【写真】実力派の野球美女たち。私服・ユニフォーム姿の厳選カット集(19枚)

3 / 3

登録は簡単! チェックを入れてボタンを押すだけ 詳しくはこちら

キーワード

このページのトップに戻る