【プロ野球】石毛宏典が振り返る、広岡達朗率いる西武でセーブ王に輝いた森繁和 レジェンドが多いなかで「心強かった」 (2ページ目)
――森さんは千葉県の一宮町の出身。2021年に開催された東京五輪のサーフィン競技の会場になった場所ですよね。
石毛 森さんも子どもの頃からサーフィンをやっていて、大学に入る前には「サーファーになろう」なんて言っていたこともあったみたいですよ。
――プロでもチームメイトになったわけですが、大学時代から知っている先輩ということで接しやすかったですか?
石毛 それはありますね。自分が入団した時には、田淵幸一さん、東尾修さんなどそうそうたる先輩方がいて、若手の僕らが食事にお付き合いして貴重なお話を聞かせていただいたりしましたが、森さんがいてくれたことは心強かったです。
【先発からリリーフへの転向でタイトル獲得】
――石毛さんから見て、森さんはどんなピッチャーでしたか?
石毛 大学時代から速球派のピッチャーでした。科学技術工業高校(千葉)時代も球が速く、中日の鈴木孝政さん(成東高校)、大洋や西武でプレーした根本隆さん(銚子商業高校)とともに"千葉三羽ガラス"と言われていました。ただ、森さんが3年生の時に高校がなくなってしまったんです。それで、駒澤大学高校に転校したんですよね。
球種は多くはないのですが、速い真っすぐとフォークで抑えていた印象があります。自分は見たことがなくてチームメイトに聞いた話ですが、ブルペンで投球練習をする時に、ソフトボールを投げていたこともあるようです。投球フォームを固めるためなのか、何か意図があったんでしょうね。
――森さんは大学4年時にロッテからドラフト1位指名を受けていますが、入団を拒否し、住友金属に入社しました。
石毛 大学時代は、日本大学の佐藤義則さん、大阪商業大学の齊藤明雄さんとともに"大学投手三羽ガラス"と呼ばれていて、3人ともドラフトにかかるんじゃないかと高く評価されていました。でも、森さんはロッテに断りを入れて、社会人野球の住友金属へ。社会人時代にインターコンチネンタルカップの日本代表に選ばれていましたが、やはり球威がありましたね。ちなみに、その代表で(のちに監督とコーチという関係になる)落合博満さんと出会っていたはずです。当時から相通じるものがあったのかもしれません。
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