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【プロ野球】カープ3連覇を支えた田中広輔が振り返る野球人生 プロ志望届を2度見送ってからの指名は「不思議な感情になった」 (2ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文text by Junichi Shiratori

【同期・菅野智之のドラフト"強行指名"の裏側】

――中学卒業後、長年憧れていた東海大相模高校に入学し、高校2年生の春には甲子園に出場。その後は東海大学に進学します。

「母親には日頃から『大学くらいは出てほしい』と言われていたので、プロ志望届を出さないことに決めました。ただ、当時の僕は高校卒業後にプロ野球の道に進むつもりで野球に打ち込んでいたので、いざ同学年の高校生が指名されるドラフト会議(2007年)が終わった時には、正直かなり落ち込みましたね。

 まだ18歳だったこともあって、『大学での4年間、どのような目標を持って野球に打ち込めばいいんだろう』という不安もありましたし、野球に向き合うモチベーションが落ちてしまったところは少なからずあったような気がします」

――東海大学では、4年秋のリーグ戦で首位打者を獲得する活躍を見せましたが、卒業を控えた2011年のドラフト会議でもプロ志望届を出さず、JR東日本に進まれる決断を下しましたね。

「今となっては、『社会人野球を経験できてよかった』と思っていますが、進路を決めるタイミングで目立つ活躍ができなかったこともあり、悔しさを感じながらも渋々受け入れたような感じでした」

――2011年のドラフト会議では、巨人入りを希望していた東海大相模、東海大の同期だった菅野智之投手(現コロラド・ロッキーズ)が北海道日本ハムから"強行指名"を受け、入団拒否となったことも話題となりました。

「多くの報道陣が詰めかけるなかで、僕ら部員は中継を見守りながら、別室で待つ菅野投手を祝福する準備を進めていました。『もしかしたら日本ハムあたりが指名してくるかもしれない』と、部員たちの間で何気なく話していたら、本当にその流れになって。その瞬間に、会場が一気に騒がしくなったことを覚えています」

――ドラフト会議後、菅野投手と話をする機会はありましたか?

「とても話しかけられるような雰囲気ではなくて、『どうするんだろ......』と遠目に見守ることくらいしかできませんでしたけど、僕個人としてはドラフトの怖さを思い知った半面、指名してもらえることへの羨ましさもありました。『自分もそちら側の選手にならないといけない』と決意を抱くきっかけにもなりましたね」

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