【プロ野球】「なんでカーブを投げるんだ」 長嶋茂雄に本塁打を打たれた夜から始まった 鈴木孝政をセーブ王に育てた近藤貞雄の流儀 (4ページ目)
「自分にとっては、抑えをやらせてもらったことで顔と名前を覚えてもらう大きなきっかけになったと思います。それでヒジを痛めて、抑えで失敗しても先発として生きる道をつくってくれた人です。今振り返ると、近藤さんが監督だった頃は楽しかったなと思いますね。『移動日は移動するのが仕事なんだ』と言って、練習なんかしませんから。『やりたい奴は勝手にやれ』っていう感じでね(笑)。
もう心配になるぐらい、休みを大事にする。キャンプでも連休があって。でも、それで優勝するんですよ。ここが大事なところです。近藤監督の野球は、とても合理的だった。その合理的な野球で結果を出しているのに、日本ではあまり評価されないんです。権藤さんもどちらかと言えば合理的で、横浜(現・DeNA)で日本一になったけど、監督としては評価されない」
権藤もかつて、「私は近藤さんに似ています」と語っていた。その理由として挙げたのが、「よその人がやらないこと、人と違うこと、新しいことをやろうとする姿勢」だった。では、その「新しいもの」とは、突き詰めれば、合理的な野球につながるものだったのか。
「何か新しいことをやるのって、監督として相当な勇気がいると思うんですよ。20歳そこそこの若造を抑えに抜擢したのだって、勇気でしょう。もちろん、そこにはギャンブル性もあります。だから失敗することだってたくさんあった。近藤さんの座右の銘は『七転八起』ですからね。でも、不思議とそういうふうには見えなかった。近藤さんはいつもスマートなんですよ。試合が終わって風呂に入ったあとなんて、到底『七転八起』のおっさんには見えなかったですね(笑)」
【最期まで貫いた美学】
現役引退後、解説者として球場を訪れた際、鈴木は記者席で近藤と顔を合わせた。当時はまだ禁煙ではなく、ふたりで喫煙していると、「なんだ、おまえタバコ吸うのか、やめろ!」と近藤に叱られた。「自分も吸ってんじゃないですか」と返すと、「馬鹿野郎、オレはいいんだ、ここまで生きたから」と。
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