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篠塚和典も「あのケガがなければ......」と惜しむ吉村禎章 高卒2年目にして光っていたバッティングセンス (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

――札幌円山球場での中日戦(1988年7月6日)の守備中に起きたケガですね(中尾孝義のレフトフライを捕球した際、センターの栄村忠広と激突し、左膝の4本の靭帯のうち3本が断裂)。篠塚さんもセカンドで試合に出ていましたね。

篠塚 内野手のわれわれは遠目から見ているので、左中間のフライを捕ろうとしたヨシと栄村がどのようにぶつかったかはわからなかった。近くまで行くと、膝を痛がっているのはわかりましたが......打撲などの痛がり方ではなかったです。後日、映像でぶつかった瞬間を見た時に、「これは復帰するまで時間がかかりそうだな」と思いました。

 栄村がものすごいスピードで打球を追いかけていて、ヨシの膝にもろに突っ込むような形になってしまった。ただ、これはどちらに責任があるという話ではないですし、お互いにボールを追った結果ですから。ヨシにとっては不運でしたけどね。

――吉村さんはアメリカに渡り、フランク・ジョーブ博士のもとで手術を受けたあと、1年以上の長いリハビリをしました。リハビリを担当された方は吉村さんのことを知らなかったようなのですが、リハビリに臨む吉村さんの目を見た時に、「一流の選手だとわかった。この選手は必ず復活できる」と思った、という話もありますね。

篠塚 プロ入り当初から、自分の考えをしっかり持っている選手だと思っていました。野球以外のことはわかりませんが、野球に対する頭の使い方というか、そういうものは若いのにしっかりしているなと。そういったヨシの内面にあるもの、熱い気持ちなどを感じたんじゃないですか。

 ただ、順調にステップアップしてきて、ここから脂が乗って全盛期へ入っていくだろうという時のケガでしたから、悔しかったでしょうね。打撃のタイトルを獲るとか、いろいろな目標もあったと思いますから。

(中編:吉村禎章の印象的な2本のホームラン 最速リーグ優勝を決めた劇的弾と、審判の勘違いが生んだ一発>>)

【プロフィール】

■篠塚和典(しのづか・かずのり)

1957年7月16日生まれ、東京都出身、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年を最後に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。

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