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江川卓から大学時代に8打数7安打 「江川キラー」となった豊田誠佑は中日にドラフト外で入団した (2ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 ちなみに、大学時代の江川との通算対戦績は14打数8安打(打率.571)。ここからプロに入り、現役を引退するまで「江川キラー」の異名をとった。

「江川さんの1つ下だけど、高校の時は一度も対戦していないんですよ。もちろん江川さんのことは知っていました。すごいピッチャーだと。大学3年になって完全にレギュラーポジションを奪い、春のシーズンで首位打者を獲った時は、江川さんから8打数7安打。たまたま打っただけだけど、そこから"江川キラー"と呼ばれるようになったんだよね。それがきっかけで、36年もの長い間プロの世界に身を置くことができたわけですから......感謝しています、江川さんに」

【ドラフト外で中日に入団】

 大学卒業後、豊田はドラフト外で中日に入団。そこから現役10年、コーチ10年、スカウト10年、寮長6年の計36年、一度も離れずに中日ドラゴンズ一筋。超一流選手であっても、36年間ずっと同じ球団に在籍するのはそうあることではない。それだけでも豊田という人物が現場、フロントにいかに必要な人材だったかがわかる。

「入団した時に、明治の先輩である一枝(修平)さんが二軍守備コーチで寮に住んでいました。それで毎日バッティング練習につき合ってくれて、いろいろ教わりました。(高木)守道さんが80年に引退され、当初は大島(康徳)さんがサードをやっていたんですけど、あまりの下手くそ加減に近藤(貞雄)監督が『おまえ、レフトに行け。豊田にサードをやらせるから』と。それでコーチに就任した守道さんにキャンプ中、内野ノックばかりやらされました。最初は『セカンドでやれ』って言われて、田野倉(利男)とセカンド争いをさせてくれました」

 1年目(79年)はファームでみっちり鍛えられ、2年目から頭角を現し103試合に出場。3年目にはサード、ライトで114試合に出場し、規定打席には届かなかったものの打率.292の成績を残す。翌年からレギュラーとして飛躍するはずだった。

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