大谷翔平の盗塁術を「青い稲妻」松本匡史が分析 「塁間12歩のピッチ走法で、スタートしてからスピードが落ちない」 (3ページ目)
── 三塁盗塁のほうがモーションを盗みやすいと聞いたことがありますが......。
松本 得点圏にいるわけですから、無理して三塁に盗塁する必要はありません。三塁へ盗塁する時は、ピッチャーのクセがわかっていて、100%成功するという確証がないと、チームに迷惑をかけてしまいます。それでも大谷選手は9割を超す成功率を誇ったように、相当自信があって走っていたと思います。
【大谷翔平にしかできない偉業】
── シーズン当初はスタートを切ったあと、捕手のほうを見ませんでしたが、終盤はスタートのあと、走りながら捕手の方向を見るようになりました。
松本 現場のダグアウトにいるわけではないので推測ですが、この投球で走れという「ジスボール」のサインではなく、いつでも走っていいという「グリーンライト」だと思います。グリーンライトだと、打者がスイングする可能性があるので、打球を見る必要があります。打者がスイングしてフライになると、一塁に戻らなければいけないですから。
── 一瞬の判断力が求められますね。
松本 そうですね。私はミート時の打球音がした時だけ、捕手のほうを見るようにしていました。ライナーか、フライか、ゴロか、慣れるとわかるものですよ。
── あらためて、「54−59」についての印象をお聞かせください。
松本 今年は「野手・大谷」に専念するとなった時点で、盗塁を増やすことは考えていたのだと思います。メジャーで初めて「50−50」を達成した時、「これは大谷選手にしかできない偉業だな」と思って見ていました。
── これからの大谷選手に期待することは何ですか?
松本 今シーズンは打率3割、30本塁打、30盗塁の「トリプルスリー」も達成しましたし、あと一歩で三冠王達成のところまでいきました。来年は投手をやるとなると、必然的に盗塁数は減るでしょうし、「54−59」は今シーズンだからこそできた記録かもしれません。しかし不可能を可能にしてきた大谷選手ですし、これからもとんでもないことをやってくれることを期待しています。
松本匡史(まつもと・ただし)/1954年8月8日、兵庫県生まれ。報徳学園高から早稲田大へ進み、76年のドラフトで巨人から5位指名を受け入団。走攻守三拍子揃った選手として活躍し、81年より1番に定着。翌年から2年連続盗塁王のタイトルを獲得し、とくに83年はシーズン76盗塁をマークし、セ・リーグ記録を樹立。青い手袋がトレードマークで「青い稲妻」の異名をとった
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