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与田剛は落合博満の言葉に救われた なぜプロ1年目から抑えの座をまっとうできたのか? (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「僕は最初にキヨ(清原和博/元西武ほか)にホームランを打たれて、ベンチに帰ったら落合さんが『おまえ、賞、何ももらえねえな』って笑うんです。で、『よし、オレが野茂から打って、あいつも賞をもらえないようにしてやる』って言って、ホームランを打ってくれて。『落合さん、じゃあ今度シーズン中にお願いします』って言ったら笑ってましたけど、あの方には本当によく助けられました」

【とにかく抑えは勝てばいい】

 何度もバックに救われた与田だが、抑え切れない時もある。1年目は救援で4敗を喫し、自身に負けがつかなくとも抑えに失敗した試合はあった。切り替えはどうしていたのか。

「勝ち投手の権利を消したピッチャーには謝りに行っていました。それは自分のためでもあって、相手の顔を見て謝って、思いを伝えることで切り替わる、けじめがつくんです。先輩にも後輩にも、不愉快な顔をされたことは一度もありませんよ。いつも助けてくれているからと。

 当然、チームの勝利をなくした責任も背負っていました。勝敗の数字はいつも見ていて、このゲームに勝っておけば首位と同率になっていたのか......とか。ただ、謝る相手はいないので、星野さんはじめチーム全員の顔を見ていました。とくに負けた翌日はよく見ていましたね」

 新人でも抑えを務める以上、敗戦の責任を負う。それが信頼関係につながり、切り替えやすいと与田は考えていた。

 一方で熱く燃える男でもあり、今では「最悪。恥ずかしい」と苦笑するが、失敗するとロッカーの壁にスパイクを投げつけて荒れる一面もあった。"闘将"星野はそんな姿も見たうえで「すごいヤツだ。2イニングぐらいなら日本一の投手」と与田を絶賛している。

「1年目で抑えをさせてもらって、『気が強い』とか『心臓に毛が生えている』とか言われましたけど、僕自身、すごく怖がりだと思っています。怖がりは、それを払拭するために準備はするんですよ。どうやったら怖さが消えるかって考えて」

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