屋鋪要は江川卓のボールを「ズドーン」と表現 「重いボールが浮き上がるように伸びてくる。信じられない」
連載 怪物・江川卓伝〜屋鋪要が放った26安打の記憶(前編)
>>過去の連載記事一覧
1980年代、田原俊彦、近藤真彦、野村義男の「たのきんトリオ」、長江健次、山口良一、西山浩司の「イモ欽トリオ」が芸能界を席巻したのと同じ頃、プロ野球界でも伝説のトリオが誕生した。大洋(現・DeNA)の「スーパーカートリオ」だ。
1985年に近藤貞雄が長らく低迷している大洋の監督に就任すると、まず現状をなんとか打開すべきだと考えた。そこで高木豊、加藤博一、屋鋪要の俊足プレーヤーを1番から3番に据え「スーパーカートリオ」と命名し、マスコミに注目させることでチームの活性化を図った。
現役時代と変わらずスリムな体型に加え、トレードマークの口髭をたくわえた屋鋪がゆっくりと口を開く。
80年代に大洋の中心選手として活躍した屋鋪要 photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る
【打ってない記憶しかない】
「僕を3番に抜擢って、近藤さんはえらい思いきったことをしたなと思いましたけどね(笑)。85年はバッティングの理論が少しわかりかけてきた頃だったので、キャリアハイと言える成績(打率.304、15本塁打、78打点)を残せたのかなと思っています。3番バッターだからといって、ホームランを意識したことはないです。
ご存知だと思いますが、当時は球団ごとに使用球が違ったんです。あの頃、大洋は投手力が弱いということで、飛ばないボールを使っていたんですよ。それでホームラン15本はまあまあじゃないですか。ホームランバッターではないから、狙うことはなかったけどね」
そして巨人・江川卓との対戦成績(95打数26安打、打率.268、2本塁打、10打点)を告げると、「そんなに打っているんですか? 全然打ってない記憶しかないです」と、屋鋪は驚きの表情で答えた。
「ホームランは1本しか覚えてないな。打率が.268ってことは、僕の生涯打率(.269)とほぼ一緒。江川さんとの対戦成績は、ほんと1割台だと思っていました」
屋鋪はその場で、江川との対戦成績の数字をノートにきちんと記した。この好奇心たっぷりの姿勢こそが、18年現役生活を続けられた秘訣のように思えた。さらに趣味が高じて、鉄道写真家、ラベンダー栽培家という野球選手以外の顔も持つ屋鋪の本性を垣間見た気がした。
1 / 3
著者プロフィール
松永多佳倫 (まつなが・たかりん)
1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。